「おもしろい古事記」 髙野 幸雄 会員
・古事記は第40代天武天皇(~686)の命により編纂開始、太安万侶によって和銅5年(712)に第43代元明天皇(661~721)に献上された。天皇一族が日本を統治する正当性を明示し天照大御神を頂点とする神々からの系譜を公的に記録しようとしたのが目的か・・不都合な事は記載されないだろう。
全体の1/3が神話であり物語性が強い。(国内向け)
・比較に上がる「日本書紀」も、天武天皇が編纂を命じ皇子である舎人親王(676~735)らによって養老4年(720)に完成。
神話の割合は少なく、歴代天皇の事績の記述に重点、歴史書としての性格が強い。(外国向け)
(中略)
アマテラスは卑弥呼? (ヒミコ=ヒルメ?)
天文学者の研究では、西暦247年~248年に二度皆既日食が起きたとされているが、「魏志倭人伝」によると「247年に倭の邪馬台国と狗奴国との間で戦争が起こり、その戦乱のあとに卑弥呼が死んだ。」とある。一部の考古学者によると、有名な「天の石屋戸隠れ」という神話を これらに照らし合わせて考えている。つまり、アマテラス(卑弥呼)は、戦乱の後に 重ねて起こった不吉事である皆既日食(当時では太陽の光が欠けてしまうという壮絶な恐怖)に際し、天の石屋に籠り、 呪術や祈祷でこれを回復しようとしたが叶わず、力尽きて死んでしまったというのである。又、日蝕を回復できない女王は威厳を失い民衆に殺されたという説もある。ちなみに平安期には日蝕や月蝕の際には天皇が御所に籠るという風習が見られた。また 「万葉集」では「石屋戸に隠れる」という表現は貴人の死を意味するという解釈がある。特に注目されているのは247年3月24日に北九州で観測されたであろう皆既のまま日没を迎えた日蝕である。午後3時頃から太陽が欠け始め、そのまま夜になってしまった事を想像すると、このまま太陽が消え去るのではないかという民衆の恐怖は容易に想像できる。
アマテラスは肉食女子?
現代では神棚に捧げる神饌は、米や酒、野菜、魚、海藻等の海産物とするのが通常で、動物の肉を供えるのはあまり見られないが、これは要するに牧畜えはなく稲作を受け入れた農耕民族としての日本人の文化館・宗教観が色濃く反映されているのではなかろうか。ところが記紀を読んでみると、古代の天皇たちが必ずしも肉食をタブーとしていなかったことが解る。例えば、初代神武天皇は、即位する以前、九州から都にふさわしい土地を求めて東方に向かった(神武東征)その際、大和の土豪の弟猾が「牛酒」を捧げて労ったという。「牛酒」とは牛肉と酒のことである。ちなみに古代人は肉より内臓を好んで食べたとされている。アマテラスの時代には皮をはがれた馬を神に捧げる儀式があったと推測する学者がいるが、当然神とはアマテラスを含んでいたのでは なかろうか?
参考書籍:「本当は怖い古事記」古銀剛著 「眠れないほど面白い古事記」由良弥生著
次回は、アマテラスの弟神 謎の神「ツクヨミノミコト」 邪神「スサノオのミコト」 について紹介したいと思います。