「グローバルスタンダード(日本と世界の常識の相違)」 菊 泰仁会員
日本は島国の単一民族国家である為、「自己主張」より「相手に合わせる協調性」を好み、世界に誇れる素晴らしい「思いやり」「奥ゆかしさ」という感性をもっています。また古来より「阿吽の呼吸」といった「わざわざ言わなくても、口に出さなくても、相手は分かってくれるハズ」という思いが根底にあり、「みんな同じ考えであって欲しい」と日本人は無意識に「異質性」を排除嫌います。一方、海外の特に多民族国家では、様々な宗教や人種、言語が入り交じった環境の中で日々生活しているため、 「相手と違うことが当たり前」と「相違性」に抵抗がなく、この考え方が「世界的スタンダード」として主流です。
①「ディスカッション」とは
海外ではミーティングの最中に散々議論を戦わせても、会議が終わるとケロッとして仲良くビールを飲んだりします。日本なら「酒がまずくなる」と根に持って一緒に飲むなんて考えつかないでしょう。海外では一人一人意見が異なるのは当然で、Discussionとは「議論を出し合い、お互いにどこが違うのか相違点を明解にして、そのギャップを埋める相互努力により友好的な結論を導き出すこと」を意味する為、少しでも共通の合意点が見つかり現状より1ポイントでも良い結果となれば、皆で酒を酌み交わせるのです。
勿論、目的が異なる討論の場合、例えば、対立する意見を感情的に激論するDisputeや、最初から論理立てて自分の意見を説得させ、相手を屈服させるDebateという言葉も使い分けます。
②「自分の常識=必ずしも相手の常識ではない」
ボーダレスの情報化が進み益々グローバルな現代においては、今までのような「自分の常識=相手の常識」は通じず、気候、風土、文化、宗教、風習が異なる世界には色々な考え方をする人がいるということ、同じ日本人同士でも、生まれ育った環境や生活習慣、世代間の違いなどによって十人十色であるという「自分の常識=必ずしも相手の常識ではない」という考え方が必要になります。
③「感情のコントロール」
大人でも子供でも「やることをやらない、思い通りにならない」相手にすぐにキレしたり、注意された相手も逆ギレしたりと「感情のコントロール」が出来ない人が増えています。程度の差はあれ、「相手が自分と同じように考え行動するのが当たり前」「言わなくても分かるハズ」と思う為に、相手が期待通りに振る舞わないと「何で分からないのか?どうしてそんなことをするのか?」と感情的になります。対取引先、上司と部下、夫婦間、親子間、友人同士、他人同士の関係において「相手に自分の願った通りに言行して欲しい」ので、「何故できないのか」と愚痴が出たり、きつく相手を責めてしまいます。良かれと思うなら尚更、頭ごなしに(自分が100と思う)正論をぶつけがちですが、「相手にはとっては当たり前ではないかも」との意識があれば、知らない、出来ないことは、「なんで?」と怒る前に、ちゃんと理由を言って叱ったり、教えたりすればいいだけの話です。「十人十色」「人を見て法を説け」のごとく、相手に合わせ「言い方ややり方」を変えれば、30, 50・・と少しすつ相手も分かってきます。
④「相手も尊重する自己主張=積極的な意見交換」
同じ日本人同士でも、育った環境や性格もひとりひとり違いがあるので、言葉に出さずに100%分かり合えるのは稀であること、人はそれぞれということが分かれば、イライラすることはありません。相手の主張や意見を聞かず、一方的な自己主張だけでは、単なる「自己中」です。相互の異なる意見交換があってこそ、「コミュニケーション」が成立し、前よりも「共通認識」や「相互理解」の割合が増えていきます。ただ、忘れてはならないのは、自己主張といっても「親しき仲にも礼儀あり」「これ言っちゃぁお終いよ」と言う日本人が誇れる「相手を思う、思いやり」ありきで、家族であっても、親友同士でも同じです。
⑤「排他的な異質性を見つけるのではなく、相違性の理解と共通点の発見が重要」
「人はそれぞれ異なる」というのは、「排他的に排除する異質性を見つける」のではなく、より共通部分を見つけていく為に、互いの相違点を理解し合うことです。気の合う仲間同士が巡り合えることが、如何に貴重であるか、同じ価値観や阿吽の呼吸の人と縁があることの素晴らしさを改めてより実感できると思います。
◆その意味で、同じ目的意識を持った皆様とこのクラブで巡り合えた貴重なご縁に感謝し、今後とも宜しくお願いいたします。