■会長の時間
【愚公山を移す】
中国の故事。 ものごとは、ばか正直に努力つづけていけば、かならず成功できるとの意味に使われている。
むかし、冀州の南、河陽の北に、太行山と王屋山というふたつの山があった。この山の麗に愚公と名のる90歳近いひとりの老人が住んでいた。どこヘいくにも山が邪魔になってしまい不便でしかたがなかった。で、愚公は家の者を集めて「みんなで力を出しあって、あの険しい山を平にして道を切り開こうと思うがどうだろうか」と相談した。一同は賛成する。が、妻だけが首を傾げ「人間の力では、小さな丘でさえ切り開くのが困難なのに、あの太行や王屋のような大きな山がどうなるものですか。切り取った土や石をどこへ捨てようというのですか」そういって反対した。しかし、一家の者たちは、たいへんな意気ごみで「土や石は渤海の浜に、隠土の涯に投げ捨てればいいでしょう」といって決心をかえない。愚公は三人の子どもと孫たちを引きつれ、石を割り、土を掘りかえして、モッコで渤海に運び出す作業を始めたのである。だが、一年かかってやっと渤海まで一往復するというありさまだった。
黄河のほとりに住む智叟いう人が、この様子をみて、愚公に忠告した。「そんなことしたって、一生涯かかっても知れたものじゃありませんか。老い先短いあなたに、とても山など動かせるわけがないでしょう」
愚公は、哀れむように嘆息しながら、「お前さんみたいな浅はかな心の持ち主にはわかるまい。たとえ、わしが死んでも、子どもが残る。子は孫を生み、孫はまた子を生む。子々孫々とだえることはあるまい。こうして、倦まずたゆまずやれば、山は増えないのだから、いつかきっと平になるときがくるでしょう」と答えた。
智叟はその気の長さ、決心の堅さにびっくりした。が、もっと驚いたのは、ふたつの山の主である蛇神である。山をほんとうに切り崩されてはかなわないと、天帝に訴え出た。天帝は、愚公の真心に感心して、カのある神に命じて、山を背負わせ、ひとつを朔東の地に、ひとつを雍南の地に移させた。
『列子』に出てくる寓話である。まことに中国的なスケールの大きな話ではあるまいか。事にあって行動するとき、智叟にならずに、愚公のようになりたいと考えるが、しかし、われわれ凡人は、なかなか愚公にはなりきれない。目先の利にとらおれ、困難に気力を失ってしまうからである。
【来客紹介】 |
3名 |
|
【出席報告】 |
25年9月20日(第560回例会) |
会員総数 |
出席免除会員 |
出席会員 |
欠席会員 |
出席率 |
32名 |
2名 |
22名 |
8名 |
73.33% |
|
|
【幹事報告】
〔メールBOXに配布〕 1)クラブゴルフコンペの詳細案内(9/25開催) ・・・参加者に配布
〔回覧資料〕 1)「会津の里にこらんしょ!」パンフレット 2)他クラブより例会変更のお知らせ(東大阪5クラブ)