「自己紹介と花育ての心 Part 7」 斧原 邦夫 会員
自己紹介
居住:西宮市 阪急神戸線夙川。 家族、妻と息子の三人暮し。 娘二人は既に嫁ぎ、孫は三人。
18年前、阪神大震災で家屋は全壊、母を亡くす。 天災地変。 ガス、電気、水道の無い生活。 大自然の脅威、
当り前が当り前では無い現実。 5組IMでのタイトル及び河田名誉教授の基調講演でのお話しが、改めて骨身に染みる。
趣味:スポーツ全般、特技は無いが古武道は長くやっていた。
園芸、山野草、特にスミレをこよなく愛す。 陶芸と水墨画 等々、多趣味が趣味かも・・・。
出身:昭和13年12月7日 大阪生まれ、生粋の浪速っ子。
太平洋戦争、大阪第一次、第二次空襲で焼け出され、家族はバラバラ。 小学校は四回転校。 ヤンチャに起因。
小学校4年生の時、家族6人やっと西宮 夙川の地で揃う。 敗戦後の日本、食料はじめ物資 全く無く、少年時代は野山を馳け
巡ったり、友達と工夫し遊びを創り出し楽で楽しむ。 中学、高校は芦屋へ越境入学。 県立芦屋高校、体育会では学生総合
マネージャをしていた。
大学は、親の反対を押し切り東京へ・・・早稲田へ行った。 種々のアルバイトで苦労したが、今もって良かったと思う。
全学連華やかなりし頃で、安保闘争、学園紛争等多く、授業は休講頻繁で憂慮した。
しかし貴重な体験を通じ、大きな収穫が有った。 当時日本のチベットと云われていた岩手県下閉伊郡へ毎年 開拓ボランティア
で行き、かけがえのない良き友達を得た。
就職:東洋製罐(株)昭和36年入社。 今の東洋製罐グループホルディング(株) 一部上場 「ヨウカン」 総合容器メーカー。
大正6年設立。 大阪出身の高崎達之助氏が創った会社。 人事、労務政策、教育訓練等、人事畑一筋で歩み、晩年は関連
会社 東罐共栄(株)に出て、67才迄勤めた。 働き甲斐が有った。
ロータリークラブとの出会い:
当クラブの創立時苦労された近藤さんは東罐グループの関連会社の社長を勤められて居り、存じ上げていた。
この近藤さんと秋山さん、お二人から入会のお誘いを受け、創立より多少遅れて入会させて頂いた。
ロータリー精神は、社会人としての倫理感、東罐一筋に歩んで来た職業観とも調和し感動した。 ちなみに東洋製罐創立の
根本方針ならびに服務精神は・・・(内容省略) これ真理であり、大道無門・・・この精神が有ればこそであり、先輩から私達へ、
そして後輩達へ脈々と引継がれ、今日が有る。
先週のクラブフォーラムでの秋山さんのお話しの一部を引用、ロータリーの目的は 「人の幸せ」 である。 「奉仕」 を目的とした
団体組織であると・・・。 組織には形は無い。 活動しているから生きものです。 私にとっても励みとなる。
私達のクラブも創立間もない頃、種々の問題が有った。 しかし、現存会員の結束とその後入会された方々の積極的な参画に
より、具体例が先般の5組IMホスト役として、髙野会長を筆頭に各人が役割分担に徹し、そして一丸となって活動されていた姿
は見事で有り、内輪ながら敬服した。
新年度が始まり、久保田新会長は 「品格ある親睦と奉仕の調和」 をテーマとして提示された。 さらに私達は、和気藹々の中
にも、お互いの為に節度をもって活動し、お互い豊かな人生を送ろうではありませんか!
花育ての心 Part7:
闘病生活の間、自宅の庭の山野草の鉢植の殆んどが枯れてしまった。 実に可哀想な事をしてしまった。 全て私の責任・・・。
鉢植と云う限られた環境、日々の水やりは勿論、時期に於じた施肥。 少なくとも二年に一度は、根腐れ防止の為の根切り、
用土の入れ替えが必要。
また、草花の各々には、特徴や個性が有り、その理解と目配り、気配り、時には厳しく、常に温かい配慮、心配りがポイントと
なります。
「愛あれば見える。 見えれば判る。 判れば通じる。 通じれば共に育つ」 です。
まさに人間関係のあり方、そのものではないでしょうか! 人間はもっと複雑です。 心と魂が有ることは貴重ですが、私利私欲
を無くすことは出来ません。 そこに他利優先、奉仕の実践の難しさが有る様な気がします。
長年、学生時代のマネージャ稼業を皮切りに、実社会では、仕事を通じての人間関係、人様に係わりをもってきましたが、未熟
さを痛感し、恐らく永遠の課題となると思はれる。 しかし今を大事に一歩、一歩、心豊かに闊歩したいものです。
どうか会員の皆様、老若男女を問はず、是非学ばせて頂き度い想いです。 また、私が何かお役に立て得る事が有れば、
ご活用願えれば幸いです。 どうか今後共に宜敷くお願い致します。 合掌