■会長の時間
【管鮑の交わり】
中国の故事。
唐代の詩聖として名高い杜甫(712年~770年)の詩「貧交行」のなかにあることば。
手を翻せば雲おこり手を覆せば雨ふる、紛々たる軽薄なんぞ数うるを須いん。
君見ずや管鮑貧時の交り、此道、今人棄てて土の如し。
義理人情がすっかり地におちてしまった現代では、堅い交りを結んでいたはずの友人でも、ほんのちょっとしたささいな原因でわかれてしまう。まったく軽薄である。少しは、むかしの管仲と鮑叔牙の間のような、貧富にかかわりのない深い友情を見習うとよいだろう、と綴っている。
杜甫によって称揚された管仲と飽叔牙との交友ぶりは、司馬遷の著した歴史書『史記』のなかに詳しい。
ふたりは春秋時代(紀元前五世紀ころ)の斉の人で、若いころからの無二の親友であった。ふたりがいっしょに商売をしたとき、管仲が分け前を余分に取った。が、鮑叔は、管仲が自分より貧しいのを知っていたので、ひと言も欲ばりだとはいわなかった。
管仲が、鮑叔のためを思っでやったことが失敗して、鮑叔をいっそう苦しい境遇に追いこんだこともあったが、管仲をけっして愚か者よばわりはしなかった。ものごとには運不運がつきまとうのを知っていたからである。管仲が、なんども主君につかえては馘になったけれど、鮑叔は絶対に能なしだと笑わなかった。戦いのとき、何度も敗れて逃げ帰ってきたが、やはり鮑叔は管仲を卑怯者とはそしらなかった。管仲に老いた母がいるのを知っていたからである。戦いに敗れて、主君が自殺したとき、管仲だけか繩目の辱しめを受けたが、鮑叔は恥知らずと非難しなかった。管仲が、小事にこだわらず天下に功名のあらわれないことだけを恥としているのを知っていたからである。
のちに春秋五覇のひとりとなった桓公を助けて、天下を動かす大政治家になった管仲は、「わたしを生んでくれたのは父母だが、わたしを知ってくれたのは鮑君である」と、感謝の気持をこめて述懐している。これほどまでに自分を知っていてくれる友人がいたらどうだろうか。誰でも、その人のためにかならず世に出て、友情にむくいようと努力するのではあるまいか。
「管飽の交わり」とは、利害打算によってかわることのない、互いに心を知りあった親密な交わりのたとえである。
【来客紹介】 |
3名 |
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【出席報告】 |
25年8月30日(第557回例会) |
会員総数 |
出席免除会員 |
出席会員 |
欠席会員 |
出席率 |
32名 |
2名 |
26名 |
4名 |
83.67% |
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【幹事報告】
〔メールBOXに配布〕 1)ガバナー補佐訪問・クラブ協議会(9/20)のご案内
〔回覧資料〕 1)米山梅吉記念館 館報(2013秋)