■会長の時間
【諸行無常】
日本の故事。
諸行とは、世の中の一切の現象、万物をいう。無常とは、これらの現象、万物は常に変化し、なにひとつ常住不変なものはないとの意味。だから、人の身も、世の中も、草木国土も、一切のものが生滅し、死滅転変を免れない。変化し、無常であることだけが不変であり、常住である。これが諸行無常。
諸行無常は、仏教の教義のもっとも根本的なもののひとつ。流転のなかに生きる人間は、目の前にあらわれる事象に迷わされ、煩悩のとりこになってしまう。が、諸行無常の理法をおぼえると迷いは消え、煩悩は去っていく。自ずから心身の動揺がなくなる。これが悟りの世界である。早く、悟りの世界に入れと、仏教では説く。
これと似た考え方が西欧にもある。ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(B.C.544~484年)の学説の中心である「パンタ・レイ」がそれ。
ギリシア語で「すべては流れる」という意味だが、日本での最初の翻訳が明治時代であったため「万物流転」と訳され、これが親しまれている。
へラクレイトスは、「万物は川の水のように流転している。同じ河だとみえるものも、実は、毎秒毎秒ちがっている。人の身も同様である。いまの自分は、一瞬前の自分ではない。変化こそ万物の不変の相である」といっている。パンタ・レイの学説は、ほんとうは、もっとむずかしく、誰もがよく理解できなかったらしいのが事実。しかし、ともかく「いまの自分は一瞬前の自分ではない」という個所だけはわかり、人びとがロにしたふしがある。当時の喜劇作者エピハルモスは、「パンタ・レイ」を種に使っている。
借金取りに返金を迫られたある男、「あのとき借金したわたしは、いまのわたしではない。パンタ・レイだ」と、とりあわない。借金取りは怒って、男を殴る。男は暴力をふるわれたと訴える。が、「殴ったわたしと、訴えられたわたしは別人だ。パンタ・レイじゃないか」と、やりかえされる。
諸行無常を一般庶民にわかりやすく、くだいて説明しているのが「いろは歌」である。
色はにほへど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢みじ 酔ひもせず
この歌の文字に「京」の字をつけて四十八文字とす。「イロハ」はここから出た。諸行無常の文句でもっとも有名なのは『平家物語』の冒頭の部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」というくだり。
【来客紹介】 |
1名 |
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【出席報告】 |
25年8月9日(第556回例会) |
会員総数 |
出席免除会員 |
出席会員 |
欠席会員 |
出席率 |
32名 |
2名 |
23名 |
7名 |
76.67% |
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