「ごめんね いたち君」 森本 良嗣 会員
この度は新会員さんも多くなっていますので、森本の自己紹介・仕事等について話しました。
駐車場経営の中で様々な事柄がありますが、テーマのイタチ君が場内にやって来ます。しかしこのイタチ「鳥獣保護法」 により、保護されますので捕獲して勝手に処分できません。結果「いたち ごっこ」と言う遊びや、言葉があるように捕獲しては又、自然界に放してやり、それが又、街中に戻って来る。でも誰かが、イタチゴッコでもしなくては、地域にも・私にも影響します。いくら法律に則った行動ではありますが、人間として善か悪かと多少大げさに考えて居たとき、ネットで 大阪大学名誉教授 畑田耕一 先生が「教育とロータリーの4つのテスト」と言う文章を掲載されていました。それには、4つのテストを日常社会での判断基準として考えたとき、人として豊かに成れると感じました。真実かどうか・・ロータリーって いいなあ・・とつくづくと思ったんです。どうぞ皆さんも、例会や日々にこの「4つのテスト」を指標により良い指導者を目指して皆で唱和して参りましょう。
参考文献 畑田耕一先生 文章一部を以下に抜擢させて頂きました。
ところで、人間がいろいろなことを言い、あるいは、行うに当たって参照するべき判断の基準は、法律の様に既に決まっている外部基準ではなく、各個人が自分の中に持っている内部基準、すなわち、自分の中のもう一人の自分とも言える人間が示す判断基準である。したがって、各個人独自のもので、人により少しずつ異なるものではあるが、その違いがあまり大きいと、いろいろな意味で不都合が生じる。そのような事態を避けるためには、各個人の判断基準がある程度の一般性を持っていることが必要である。道徳の授業の目標は、そのような基準を一つに決めて教え込むのではなく、具体的な例を基に、判断基準の意義と必要性を学ばせ、生徒一人一人にとって独自で且つある程度の一般性を持つ基準を作り上げる力を養わせることである。ロータリークラブの会員が、日常の言行の評価のために使用することを推奨されている質問形式の基準である「四つのテスト」(参考文献2)をここに示す。この四つのテストには、人間が社会で生きていくうえでの善悪の判断基準が、ロータリアンのみならず一般の人々にも理解できるような形で、簡潔かつ的確にまとめられていると思う。
<四つのテスト> <The Four-Way Test>
言行は以下のことに照らしてから行うべし Of the things we think, say or do
1.真実かどうか Is it the TRUTH ?
2.みんなに公平か Is it FAIR to all concerned ?
3.好意と友情を深めるか Will it build GOOD WILL and BETTER FRIENDSHIP ?
4.みんなのためになるかどうか Will it be BENEFICIAL to all concerned ?
まず、「真実かどうか」は「嘘偽りがないかどうか」というような単純な解釈はせずに、もう少し深く考えて、「物事の原理・原則、根本原理に適っているかどうか」と理解するのがよいと思う。
「みんなに公平か」は、私的感情をあまりまじえずに、偏り無く対処している、いわば、太陽の様な存在か、という意味なので、「みんなに公正か」という方がよいのかもしれない。真実は、後で述べるように、時として信念の要素を含むことがある。それが相手を困らせることが無いような配慮も要るということを、言外ににじませているとも言える。
「好意と友情を深めるか」は、自分以外の人や動植物やものと付き合うときの、ごく自然で基本的な対処の仕方であるが、ここではある程度の私的な感情がまざるのはやむを得ない。大事なことは、それが他を排除するものであってはならないということである。
道徳的な基準は、自分が何かを行うときの他への態度の規範であるが、それは当然、相手もそれに反応しやすく、何かを行いやすいための配慮を含んでいなければならない。これが「みんなのためになるかどうか」であると考えられる。「好意と友情を深めるか」の判断で私的な感情が強く入り過ぎないように戒めているという解釈もできる。
ここで、四つのテストの起点である「真実かどうか」の「真実」について少し考えて見たいと思う。真実は、上にも述べたように、物事の根本原理、すなわち、互いに関連するいろいろな事実をうまく説明できる、あるいは、それらと合致する考え方である。時の経過とともに多くの正確な事実が蓄積されると、それらをつかさどる根本原理も少しずつ深まっていく。すなわち、真実は時代とともに深化していく。真実は、また、人によって異なることもある。同じ事実を知ったとしても、その人の経験や洞察力によって、それらを統一して説明できる概念、すなわち抽出できる根本原理、真実が若干違うこともありうる。その意味で、真実はその人の信念、あるいは、確信の性格を持つこともある。事実は、また、場所による偏りを示すこともある。したがって、それに基づく真実も場所によって多少の違いが出てくることになる。真実は、それに関わる人、時代、場所とともにある種のゆらぎを示しつつ、次第に深まり、非常に長い時間をかけて唯一つのものに収斂していくといえる。したがって、社会における行動の規範も、唯一つのものではなく、人、時代、場所とともにある種のゆらぎを示すものということになる。
四つのテストの基本は「真実かどうか」であるが、それが自己の信念のかたくなで偏狭な押し付けにならないように、短い言葉を組み合わせ、互いに相補わせることによって、実に上手に、道徳的規範という、考え様によっては堅苦しいことが、やさしく、穏やかに述べられている。四つのテストのそれぞれを個別のものとは考えずに、全体を一つに融合したものと捉えて、自分の言行を判断することが重要である