■会長の時間
【靴の紐をとくにも足りない】
西欧の故事。
あの人にはすべての点で遠くおよばない、と自分の能カや才能を謙遜する場合に使われることば。
欧米諸国で日常的に話されているフレーズのなかには、聖書からとられたものが圧倒的に多い。ちょうど日本語の慣用句に仏教からきたものが少なくないように………キリスト教がそれだけ欧米の文化、文明に深く浸透している証拠といえる。「靴の紐……」もそうした句のひとつ。
新約聖書「マルコによる福音書」第一章第七節に、「わたしより力のあるかたがあとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない」とある。「あとからくる力のある人」とは、むろんイエス・キリスト。話をしているのはヨハネである。
聖書の時代の靴といっても現在のものとはまるでちがう。映画などで知っている人もいるだろうが、革や木で作られた底だけの靴である。いまの靴の敷き皮みたいなのを紐で足に縛りつけるサンダルである。家に入る場合は靴を脱いだ。土足で部屋にはけっしてあがらなかった。むかし、日本人は外から帰ってくると、草履やわらじを脱ぎ、水で足を洗ってから家にあがった。テレビのドラマで、旅人が旅館に入ると女中がすぐ、小さなたらいにすすぎ水をもってくる、あれである。
イエスのころも、家にあがる前には靴の紐をとき、水で足を洗う習慣があった。誰もいなければ、その作業は自分ひとりでしなければならないが、ふつうは、召使いのなかでもっとも身分の低い下男下女の仕事であった。日本でもそうだったが……。ヨハネは、「イエス様の弟子のなかでは、もっとも身分の低い者です。靴の紐をとく仕事さえさせてもらえないのですから」といったのである。もっとも謙遜ではあるが。
「マタイによる福音書」の第三章第十一節にも、ヨハネの同じ話がのっている。
「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない」
文章が少し異なるが同じ意味である。
「むかしイスラエルでは、物をあがなう事と、権利の譲渡について、万事を決定する時のならわしはこうであった。すなわち、その人は、自分のくつを脱いで、相手の人に渡した。これがイスラエルでの証明の方法であった。」
旧約聖書「ルツ記」第四章第七節には、こんな話もある。日本語訳ではわからないが、英文訳では a man plucked off his shoe となっていて片一方の靴だけを脱いだことがわかる。面白い習慣である。
【来客紹介】 |
1名 |
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【出席報告】 |
25年6月7日(第547回例会) |
会員総数 |
出席免除会員 |
出席会員 |
欠席会員 |
出席率 |
32名 |
2名 |
23名 |
7名 |
76.42% |
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【幹事報告】
〔メールBOXに配布〕
1)ロータリーの友(6月号) 2)月間地区出席報告(4月分) 3)今年度 委員会活動報告書
4)次年度 年間プログラム 5)次年度 理事・役員・委員会構成 6)次年度 活動計画書提出のお願い
〔回覧資料〕
1)震災支援募金箱 2)他クラブより例会変更のお知らせ(大阪イブニングRC)