■会長の時間
【越王怒蛙に式す】
中国の故事。
呉と越の二国間の、激しくも長い争いは、さまざまな故事を残してくれている。「臥薪嘗胆」もそのひとつ。
呉王夫差のために敗れた越王勾践は、なんとか復讐をと常住坐臥、そのことばかりに心をくだいていた。で、部下たちが勇んで死んでくれるほどの忠誠を誓ってくれたら、かならず呉軍をくだせるだろうと信じた。
あるとき、馬車に乗って越王は外出した。と、馬車の前に立ちふさがって、動こうとしない一匹のガマ蛙に出会う。ひどく怒っているようすが、その小さな身体から感じられた。越王は、馬車を降り「いや、驚かしてすまなかった」とガマ蛙にていねいにお辞儀をして、再び馬車の人となった。つきそっていた部下が、王の奇怪な行動を不思議に思い、「なぜ、ガマ蛙に頭をさげたのでございましょうか」と尋ねた。すると勾践は、得たりと「ガマ蛙は勇気をもっていたからである。わたしは勇気ある者には、ガマ蛙といえども敬意を表する」そう答えた。この話を伝え聞いた人びとは「ガマ蛙でさえ、勇気があったといって、あんなにも厚く遇された。人間がもし勇気あるふるまいをしたら、なおさら尊敬されるのではないだろうか」と噂しあった。で、翌年には自分の首を王に献上したいと申し出る者が十人余りもあったという。
「越王怒蛙に……」は、ほめるだけでも人を殺せるというたとえに使われる。
勇んで死んでくれる多くの部下を従えた越王勾践は呉王夫差を破ったのち、さらに軍を北に進めた。淮河を渡り、斉、晋の諸侯と徐州に会し、呉にかわって天下の覇者となるのである。
勾践は、なかなかの人物らしく、人心を収攬する手をいくつも使っている。やることがお芝居がかってはいるが憎めない。ガマ蛙に頭をさげるなど、なまなかの人間がやれる行動ではない。
勾践はまた部下の進言をよく聞いた。いちど敗戦のうきめをみたのち、よく立ち直って天下に覇をとなえられたのは、名臣范蠡の諌めを素直に実行したからである。呉王夫差に会稽山で敗れたあと、越王勾践は、どうしたらよいか范蠡に尋ねる。するとこの名臣はいう。
「常に心をみなぎらせている(満を持す)者には、天の助けがあります。危難をささえた(傾けるを定める)者には、人の助けがあります。用を節約して質素を守る(事を節する)者には、地の助けがあります。今後は、この天と地と人との助けを得るように努めなければなりません。」
【来客紹介】 |
0名 |
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【出席報告】 |
25年3月8日(第536回例会) |
会員総数 |
出席免除会員 |
出席会員 |
欠席会員 |
出席率 |
31名 |
2名 |
22名 |
7名 |
75.88% |
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【幹事報告】
〔メールBOXに配布〕
1)地区出席報告(1月分)
2)第9回理事会報告
3)例会変更のお知らせ
4)「職場見学会」と「移動例会」のご案内
5)ガバナー補佐訪問「第2回クラブ協議会」出席のお願い (出欠は回覧表へ 来週まで)
6)次年度 理事・役員・理事会構成メンバーおよび委員会構成表
〔回覧資料〕
1)田中作次物語DVDのご案内 (申込みは回覧表へ記入)
2)大阪市交通災害遺族会「パンジーだより」
3)神韻世界ツアー2013日本公演のご案内 (前週に引き続き回覧)