■会長の時間
【雄弁は銀、沈黙は金】
西欧の故事。
以心伝心の西洋版か。ことばにあらわしたり、文字に綴ると徴妙なニュアンスがちがってしまう心の動きなどは、沈黙によって語るほうが、ずっとなまなましく、しかも正確に伝わるのではあるまいか。
「沈黙はことばよりも雄弁である」といういい方もある。
「沈黙は話術上の一大秘訣である」とは、ローマの雄弁家キケロ(B.C.106年~43年」のことば。「黙するは高き叫びである」ともいっている。ことば巧みに話しつづけるよりも、沈黙して相手に考えさせる時間を与えると、話しあいの目的はより早く達せられると説いているのだろう。さすがに雄弁家として知られている人だけに、ことばについての研究のほどが感じられる。タイミングのよい沈黙が効果的なのだろう。
「沈黙は清純な恋の花である」とは、ドイツの詩人ハイネ(1797年~1856年)のことば。愛しあっているふたりが、楽しそうに話しあっている姿は、美しい風情がある。が、胸のたかぶりのあまり、言いたいこともいえず、沈黙をつづけている恋人同士は、清純で、なんともいえないおもむきがある。身体いっぱいをつかって、想いのたけを相手にわかってほしいと語りかけている様子はいじらしくも、かわいらしい。
「沈黙は無意義の言語に優る」とは、ギリシアの哲学者ピタゴラス(B.C.582年~493年)のことば。なにかいわなければとあせって、いわずもがなのことばをロにしてしまうことがよくある。が、これはまったく無意味であるばかりでなく、自分の無能ぶりを告白するのと同じだろう。
「汝よろしく沈黙せよ。でなければ沈黙に優ることをいえ」とも、ピタゴラスは教えている。
「沈黙は自らを信じ得ない者には最も安全の道である」とは、フランスの政治家ラ・ロシュフコー(1613年~1680年)のことば。意見をいう以上は、それについての十分な確信と信念がなければならない。自らがこれだと信じられないような意見は、相手の心をうたないだけでなく、危険でさえある。だから、信念も確信もない場合には、沈黙を守り、人のことばに耳を傾けるとよいだろう。
「沈黙する者は承諾したとみなされる」とは、ローマ法王ボニファキウスニ世(在位530年~532年)のことば。堂々と反対意見をいわなければならないときに、黙して語らなかったら、同じ意見であると思われてもしかたがない。
【来客紹介】 |
1名 |
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【出席報告】 |
25年2月15日(第533回例会) |
会員総数 |
出席免除会員 |
出席会員 |
欠席会員 |
出席率 |
31名 |
2名 |
26名 |
3名 |
89.66% |
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【幹事報告】
〔メールBOXに配布〕 1)2/22夜例会のご案内 (出欠は19日・火まで) 2)IM最終打合せ資料(3枚)
〔回覧資料〕 1)例会変更のお知らせ(大阪梅田RC・八尾RC)