「ロータリーを考える」 井上 暎夫 パストガバナー
通常ロータリーという時は、国際ロータリー(RI)のことをさします。
歴史的にいえば、シカゴ・クラブの時代、全米連合の時代、国際ロータリークラブ連合を経て、1922年 RI となりました。
爾後設立のクラブは、この時定められた綱領に準拠することを義務付けられました。今ある世界の殆どのクラブは、RI の認証を受けてロータリーの一員となり、クラブが RI の構成員であり、会員はあくまでもクラブの構成員です。
さて、シカゴ・クラブの綱領は「会員の親交と、会員相互の職業上の利益を計りシカゴ市の振興を目的とすること」でした。
相互扶助を目的に、一業種一人のクラブに選ばれることに異を唱える人はいないとの考えに、ドナルド・カーターの弁は大きな衝撃を与えました。
社会への奉仕が、最初のロータリークラブに取り入れられることになった契機となり、現在のロータリー活動の根幹として続いています。この時、親睦か奉仕かクラブを二分する論争となりましたが、近年 RI が出しました戦略計画に書かれた中核となる価値観に 「奉仕」と「親睦」が掲げられどちらかではなく、双方が重要となっております。
もう一つロータリーを揺るがす論争がありました。
ロータリーへの入会を条件として、クラブが身体障害者事業への支援を主張したエドガー・アレンは、ロータリーの奉仕をするのは
I か WE かという存続をかけるような論争を招きました。
これを解決したのが決議23‐34です。一つの人生哲学、クラブが社会奉仕活動の選択に絶対的な権限を持つなど6項目から成っておりますが、この決議がポリオの遂行の妨げになるとの理由で、手続要覧から削除される事態が起きました。以前にも規定審議会で廃止の提案がありました。日本が止めましたが、財団を中心としたRIの人道的奉仕と職業奉仕を信奉する日本のロータリーの間にあるものは、ロータリーを考える上で無視できない大切なものです。
財団は1917年、アーチ・クランフ会長の提唱により誕生しましたが、ライオンズの設立と第1次大戦が背景と言われておりますが、国際親善奨学生が誕生したのは30年後のポール・ハリス逝去時に集まった弔慰金が基となりました。奨学金事業は時代の変化から、今では人道的奉仕へと移っております。
私たちは、国際ロータリーとロータリー財団は車の両輪と教えられえてきましたが、最近シカゴで『ONE ROTARY』ということを耳にするようになりました。
ロータリアンのなって本当に良かったと実感できた時、心の中に自ら他者への奉仕が芽生えてくる、という考え方が大好きです。