「大黒さまと七福神」 菊 泰仁 会員
1. 3つの国の7人の福の神様
・日本人になじみの深い「七福神」が日本独特の「開運、商売繁盛」の縁起物であるにも関わらず、日本出身の神様が「恵比寿さま」だけであることをご存知でしたか?
・以前、海外への手土産として渡した「七福神」の人形の説明をした時、イタリア人の友人が「どこの国にも福の神様はいるが、日本、中国、インドの3つの国の福の神様が7人そろって仲良く宝船に乗って人々に福をもたらすという日本人の発想はすごい」と感心されたことがありました。
・「七福神」は英語で「The Seven Gods of Good Fortune」ですが、彼にとっては、7人の神様のご利益の話よりも「他の国の宗教を受け入れ、仲良く融合させる」日本人の発想が素晴らしく思え、「無宗教と答える人が日本人には多いが、神様が身近すぎて気付かないだけで宗教性がある国民」というのです。確かに日本人はあまり宗教を意識せずとも小さい時から「お宮参り、お食い初め、初節句、七五三に始まり、合格祈願、Xmasや初詣、お盆etc」と周りいる色々な神さんを日々参拝しています。日本人には特定の宗教があるというより、宗教性がある国民であるという方が正しいのでしょう。
2. 「七福神」とは?
・「七福神」は室町時代の末期頃、民間信仰として成立し、七福とするのは「仁王般若波羅密経」の「七難即滅、七福即生」が基。
・室町時代以前の「七福神」にはインド出身の水の女神サラスバティ(聖なる河)がいましたが、その後、琵琶を奏でる音楽、学芸、知恵の女神「弁才天」と、人の財物を増長し、福徳を与える、美形の天女「吉祥天」の2人の女性の神様へと替わり、更に2人のイメージが重なり、才能の「才」の字を財宝の「財」として、今の「弁財天」紅一点となり、6人となった為、「吉祥天」の替わりに鶴と亀を従えた「福禄寿」が加わり、室町時代以降「七福神」は日本出身「恵比寿神」、インド出身「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」、中国出身「寿老人」「布袋尊」「福禄寿」と現在の形に変遷。
3. インド出身「大黒天」
・「大黒天」はインド起源、ヒンドゥー教の神「マハー(大いなる)カーラ(黒い)」であり、仏教の天部に所属する仏「魔訶迦羅」。暗黒の世界で死を司る神として恐れられ、暗黒の大神ということで「大黒」という名前になりました。「大孔雀王教」や「仁王教」の記述によると、人々が自分の血肉を捧げると不老不死の秘薬を与えてくれる神であり、恐れたり騙そうとすると、たちまちその者の命を奪う真の恐怖の神でした。それが仏教伝搬の途中で色々と性格や姿形を変え、インド出身の「大黒天」は「戦闘神」「食厨神」の二系統に変化確立。
・「戦闘神」としての姿は1面3目2臂(「臂」は腕の意味)、3面6臂等姿は様々で、大黒天信仰の発祥地、比叡山延暦寺の三面大黒像は顔が3つ(正面が大黒天、左右に毘沙門天、弁才天)、手が6本の青黒い憤怒の顔に剣を所持。
・一般に知られているのは「食厨神」の系統であり、7世紀頃から、姿形や持っている神器が取捨選択され、「大黒」と「大国(ダイコク)」の字音が同じことから、日本古来の「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と同一視され、食物の神、農業の神、糧食財宝の神となりました。一家を支える家長を「大黒柱」というのもその為。
4. 「大黒さま」
・江戸時代になって、その性格も五穀豊穣、商売繁盛、招福開運となり、「恵比寿さん」と共に、「えびすだいこく福の神」と併称され農家や商家で喜ばれるようになりました。勿論その姿は人々に福を与えるにこやかな現代の純和風の姿に定着。因みに明治の頃の最初の日本銀行券(拾圓)にも米俵に乗って打出の小槌と袋を持った大黒さま像が印刷してあり、「開運、商売繁盛」のイメージが定着。
5. 「富裕と勤勉」の神「大黒さま」
・「大黒さま」の持ち物「ふくろ」は「福労」とも呼ばれ、苦労をいとわず、かって出て、その積み重ねや徳を溜め込むための「袋」。つまり苦労をいとわず、我が子に無償の愛を注ぐところが「お袋さん」の由来。この「ふくろ」から、心身共に裕福な人生が右手の打出の小槌を打ち振ることによって溢れ出ます。勿論徳を積んでおらず中身が空ならば出てきません。「打出の小槌」によって怠け心、よこしまな心、邪悪な心を打ち振って、人の迷いを晴らします。
・東京丸の内の東京海上ビルにも「触れたり、拝めばお金が貯まる」とのうわさの「大黒さま」像がありましたが、「大黒さま」の功徳は単なる「金運良好」ではなく「富裕と勤勉」がセットになった前提での「商売繁盛の神さま」。
6. 「大黒さま」の所作・表情・持ち物の意味
・1757年岩垣光定という人が「商人生業鑑(あきんどすぎわいかがみ)」の中で「大黒さま」を次のように紹介。「大黒天は、福の神なり。橋板にて作るがよし。これは人の足の下に住む心にて、身を慎み慢(たかぶ)らず。頭巾は上より押さえる心。上瞼を厚く作るは、下を見て上を見ぬ心。米ニ俵ならでは持たぬは、足ることを知りなり。にこにこ笑うは商(あきな)いの心。分限よく知恵賢くても隠れ蓑、隠れ笠にて包みて、人にみせよう慎み、潜上の心なく、黒米飯を食して箸をつつしみ、打出の小槌は、油断なく手を動かせて稼ぎ、袋は持ちたるものを片時も離さぬ用心と思ひて信心すべし」
・この言葉を注意して読むと、分を超えず、分を下らずして己を知り、分相応に構えて心安らかなりの知足安分・知少安分の「満ち足りるを知る」思想にはじまり、「笑」は商い(飽きない)のはじまり、知恵・才覚に心を尽くして、日常は質素・倹約・始末に徹し、色の黒いのは真っ黒になって粉骨砕身、身を粉にして働き、家業・暖簾・会社を守って、家督(財産)を一切減らさないと言う意味。
7. 大阪商人の基本倫理
・つまり、「大黒さま」の所作・表情・持ち物の一つ一つに深い意味があり、そのすべてが大阪商人の倫理或いは町人道を象徴する原理原則。これは仕事だけに限らず、とかく人は偉くなって権力を握ると己の力だけと錯覚し、周りの気持ちを考えず、調和を忘れたワンマンになりがちです。
・ロータリーも「奉仕の精神と調和」ですから、今後クラブを発展させる為にも、目線を同じくして奢らず、物事を進める場合は、密室ではなく何事もオープンに、事後承諾ではなく、物事の推移経過を明確に、全員共通の認識のもとで「にこやか」に決定するような、そんなフェアーな雰囲気のクラブになることが出来ればと思います。
・ロータリーの組織は会社組織とは異なり、トップの方の集まりですから、お互いの話に耳を傾け、意見を尊重しあいつつ、目標に向かって納得するまでBrain Stormingするようなクラブでなければいけません。「エゴ」によって「人を思いやる」気持ちが曇れば「真のボランティア活動」は出来ません。所作・表情の一つ一つに意味のある「大黒さま」の話を思い出して、今後日々行動出来ればと思っております。
・余談ですか、欧米ではミーティングの最中に散々議論を戦わせても、一たびミーティングが終わると、ケロッとして仲良くビールを飲んだりします。日本なら「酒がまずくなる」と根に持って一緒に飲むなんて考えつかないでしょう。基本的に海外では一人一人の意見が異なるのは当然で、Discussionとは議論を出し合い「お互いにどこが違うのか」を明解にすることで、そのギャップを埋める努力をお互いにし友好的な結論を導き出すことを意味します。つまり現状より良い結論が出たら皆で酒を酌み交わせるのです。同じ討論でも、対立する意見を感情的に激論するDisputeや、最初から論理だてて自分の意見を説得させ、相手を屈服させるDebateとは違います。