「おふくろと語る来し方と行く末」 笹田 隆志 会員
皆さんこんにちは。今日は母と語り合う来し方行く末で、卓話を務めさせていただきます。
いつまでたっても、人前で話すのは苦手です。ちょうど食事も終わったところなので、うとうとしてもらっても、携帯してもらっても結構です。これまでも、ずいぶん卓話の機会はあって、できるだけ自分で語ろうと、趣味の山歩きや、取り組んできた仕事など話してきました。。今回の卓話もNOと言えないので、自分らしく話せるのは、やっぱり自分を語ることだと思い、このテーマを選びました。とは言え、すぐにわかると思いますが、もう一人の母、佐伯さんはズバリの言う人なので、今では半分後悔しつつ、ボロクソに打ちのめされる覚悟で、始めさせて頂きます。
私は1955年神戸生まれです。この昭和30年は自民党が結党した年です。今日はその高市さんと政治の話、ではありません。
また昭和の経済史は、この前の大野さんの卓話でわかりやすく整理をされたので、ここで触れることもありません。
さて私には母が2人います。1人は産んでくれた母、もう1人は、私の弱さを知っている、そしていまだに私につけを残している母、佐伯一恵さんです。今日はそのもう1人の母と対話しようと思います。普段から本名で呼ぶ事は無いですが、今日はよそ行きでさん付けで、ぺぺさんで行きますね。
→ であんた、まだつけ残ってるよ。
いきなりそこ?そしたら江戸っ子のぺぺさんが、昔神戸に流れ着いて、お店を持ったあたりを自己紹介で、話してもらえますか?
→→→→→銀座から騙されて神戸へ、三ノ宮東門でデビュー
なるほど、そんないきさつがあつたんですね!そのスナックぺぺに私が上司に連れて行ってもらったのは、初めて出社した日の夜でした。その時はどんな雰囲気でしたか?
→ぺぺさんか、当時のコメント
あー、つけの話でしたね!世の中には出世払いという言葉があるけれど、私には縁がないのは知ってるでしょ。でもツケ払いはぺぺさんの年金がわりだと思って、これからもしっかり払って行きますね。
→であんたの人生うまくいったの?
そこですね、来し方に話を戻さないと。これまで転職と独立で、今の仕事は4つ目になります。実は、最初の転職の時、わたしは後から聞いたんですが、生みの母親が相していたそうです。
→その母親とは、どんな思い出がありましたか?
→ぺぺさんのコメント
ちょうど震災があった平成7年、転職すると東京に離れてしまうと言う不安もあって、相談したのではないかなと。
うまくいったかどうかはわかりません。でも選ばなかったら出来ない経験も積むことが出来て、様々な仕事から逃げなかったつもりです。苦労をかけて亡くなった多佳子には、家庭のことも3人の子供も全て任せきりで、本当に苦労かけてしまったと、、、
→じゃあ後悔してるんか
あります、でも感謝の方が少し多いです。もちろん楽しく幸せな思い出もたくさんです。この歳にして私はまだ誰かに支えてもらっていると感じています。今回の卓話の数段も二つ返事で引き受けてくれたぺぺさん。遠距離で繋がってくれている、横浜のパートナーさん。近くに引っ越して来たらと、呼んでくれた娘家族と旦那さん孫たち。息子と次女も仕事を手伝ってくれています。
本当の独立とはなんだろうと時々思います。でも完全自立はおそらく幻想なんだろう、最近ようやくわかりました。言い換えれば人は自立して生きるのではなく、こうした信頼の網の中で生かされている、そのように思います。
→あんたは人を見る目が甘い。
えっ? 例えばどんなところ?
→ぺぺさんのコメント
そう言われればそうですね。何度か痛い目に遭っている。でも完全には治らない。私は人の可能性を見るのが好きで、信じすぎるところがあります。反対に危険を見るのはあまり得意では無いようで、何度も裏切られました。どうやらひとを見る目は節穴で、老眼とともにさらに怪しくなってきたようです。それでももう少しだけ、人を信じながら生きてみようと思います。
節穴で思い出しましたが、ひとつは親戚の叔父に頼まれ、保証人として一度ハンコを押しました。その後その人は姿を消しました。一時はムキになって追いかけました。でも追いかけるのをやめました。行方も知りません。怖かったのかもしれない。面倒だったのかもしれない。どこかで終わらせたかったのかもしれない。今でも正解だったか分かりません。ただそれも私の選択でした。
もう一つ大きな節穴は、片腕だった年上の社員さんが現金不正をしていたことに2年間も気がつかず、その時はほかの社員さん達も怖がってしまって、不正は精算して退職してもらいました。この時は信用するけれども、ダブルチェックすると言うことを学びました。
さてこの先、私にどんな言葉をかけますか?
→ぺぺさんから人を裏切るな
→→→大事なことですね、もう少し聞かせてください。
この言葉は私の人生で1番重いです。事業で失敗するのは良い。見る目が節穴でもいい。でも信頼を裏切らない。私は制度や体制には反発をする気質があります。でも人には裏切られたくないし、裏切りたくないと思っています。正直に言えば、私はまだいまだにこの言葉を、完璧に守りきれているとは思っていません。だからえらそうなこと言えません。ただこれからも考え続けると言う事は、やめないでおこうと思っています。
そんなことで、来し方は整理しきれません。また行く末もまだ霧の中ですが、裏切らないと決め続けること、そんなふうに思っています。こうして皆さんと、週一回の例会であっても、同じ席にいる事は、ありがたいと思っています。
最後にクラブのことをすこし、
ここ数年会員増強が順調で、入会された方々に実行力と力強さに、とても頼もしさを私は感じています。お名前を挙げさせていただきますと、と10名若手の皆さのお名前を挙げる。
てっきり副幹事馬場さんもと思っていましたが、名簿を見ると会員歴10年だったので、ベテラン扱いという事で、、、ここではね。
とてもなごやかな雰囲気のクラブなんですが、実は順風満帆にこの25年が過ぎたわけではありません。
2000年に設立してから、チャーターメンバーに聞いた話では、分裂の危機があったと聞いています。
年表で近藤さんが会長を二期務める異例の背景には、そうした危機がありました。菊さんもし違ってたら、お願いね。
また、菊会長に私が幹事でお仕えした時ですが、前会長の柴田さんが移動中の新幹線で突然亡くなると言うご不幸がありました。クラブの中核メンバーでもあり、これからと言う時代の突然の出来事でした。
さらに、私が会長を仰せつかった時ですが、ある会員によるクラブ内だけで無く、他クラブ、地区での、今で言うハラスメントに類する行為があり、理事会で退会決議を取ったこともありました。
他にも私が知り得ていない、様々な向かい風が吹いた事があると想像します。そういった難局を乗り越えて、今のクラブがあると言うことを心に留めていただいて、今のなごやかなクラブの雰囲気を大切に育てていってください。
今日はどうもありがとうございます。お母ちゃんありがと。