「私とロータリーを振り返って」 笹田 隆志 会員
入会してから自分の歩みを辿り、それが自身と周りにどういう影響与えたのか確認すると共に、ベテラン会員の皆さんとはそうそう、そんなことがあったなあ、あんなこともあったなあと思い出を共有してもらって、新しい会員の方々にはこれからのロータリーライフを送る上で何か参考になる事を得て頂いて、少しでもお役に立つ事ができたらなあと言うつもりでお話ししようと思います。
会員数が増えてきたこともあって卓話当番がめったに回って来なくなって、更にコロナで様々な会合も自粛が相次ぎ、たくさんの人前で話す事は全くなかったので、今日の卓話は久しぶりで楽しみにしていました。
とは言ってもこんなに静まり返っていてはとても話しづらいので、独り言喋っていると思って気楽に聞いてください。
お食事しながらで結構、食後でエアコンも効いてるので気持ちよく舟を漕いでもらってもオッケー、ときにはスマホをいじってもらってもオッケー、お隣と時々話してもらっても、あっこれ中根さんだけはちょっと遠慮していただけるとー、ここ笑ってもらわないと嫌味になってあとで叱られるんです。
まぁとにかくそんな調子で気楽に30分ほどお付き合いいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
約17年のロータリーライフから思い出深い事柄をいくつか取り上げて、それにまつわるエピソードを交えながらお話ししたいと思います。北阪さんに調べてもらったら、入会は2005年年末の12月19日、今から16年半前になります。
紹介者はもう退会された秋山さんで、「お前ロータリークラブに入りたいか」みたいなそんなお誘いで、その頃の私はソニー生命の営業で前のめり、とにかく一所懸命で仕事しか目に入らない脂ぎった嫌な奴だったと思います。当時から秋山さんの会社のお手伝いもしていて、きっともの足りなさそうなそうな顔していたので声をかけられたんだと思います。
秋山さんからホテル阪神で昼飯をご馳走してやるからと呼び出され、当時の選考委員会で担当の斧原さんと三人で食事をしながらの面接でした。秋山さんからは「入ってからクラブで勧誘はせんとってくれ」と釘を刺されてしまい、ハシゴが外れてええっみたいな気持ちになつた記憶があります。今だったらロータリー創設者のポールハリスさんは心の広い極めて指導良く柔軟な人物と書かれているので、そんな心の狭い事は言わないはずですと言えたかもしれませんが、その当時はわかりましたと応じるのが精一杯でした。入ってからお話を聞いたりしていろいろわかったことですが、設立当初は会員同士に対立があって退会者が相次いだ時期もあり、当時の23名からの会員増強は最優先事項だったと思います。
次はロータリアン交流の受け入れです。ロータリーにはGSE group study exchangeと言う海外ロータリアンとその家族や関係者と、日本側との交換プログラムがありました、今はその制度は事情があって休眠しているようですが。
2007年4月にトルコチームを2660地区で受け入れることになり、当クラブでもその内の1名を引き受けることになったようです。自分から手をあげたか、声をかけられたかは覚えていませんが、最終的に私の方で1週間預かることになりました。ALI SIENGELくん30歳の青年で、お父さんがトルコのロータリーアンで医療機器の輸入、販売を手がける会社をしていた関係で、日本ではオリンパスや島津など医療関係の会社訪問を希望していました。
以前にも別ルートでアメリカ人の青年をしばらくホームステイさせたこともあり、家族も受け入れは歓迎してくれました。
とても明るく快活で活動的な青年でしたが、やはり遊びたい盛りでしょうか、連絡もないまま朝帰りをされて相当やきもきしたこともありました。またお国では大きな交通事故にもあったらしいのですが、幸い怪我1つなく打撲だけで無事に済んだ話しもしてくれました。そんな朝帰りや、事故の背景、いきさつをごまかさずに多分ありのまま説明してくれるのですが、あまりに屈託なく楽しそうに話してくれるので、普通なら自分にもどこかにうっかりや落ち度があろうモノですが、へぇ〜大変やったね、無事で良かったねーと聞いてるこちらも話を平和にまとめさせるような不思議な青年でした。
いずれにしても子供たち3人も肩が触れ合うんばかりに夜遅くまで、互いのお国自慢や家族の話をカタコトでやりとりした事が懐かしく思い出されます。当時は元気だった妻にもよくなついてくれて、日本のお母さんみたいな言い方をしていました。彼が帰国後しばらくしてから結婚することになったと言う知らせをくれて、イスタンブールに来てくれと招待してくれました。行きたい気持ちは山々でしたが当時は経済的にも時間的にも全くそんな余裕はなく、結婚祝い代のプレゼント送ってあげたことが懐かしく思われます。
そうこうしていると、今度は菊さんから自分の会長年度で一緒に幹事をやってくれと声がかかりました。
そしてスタートしたのが2010年7月。兄貴みたいにいろいろ頼みやすいから、と言う殺し文句だったように記憶しています。幹事がいかに大変かと言う事は、引き受けた後からわかったことなんですが…
これからと言う若い会員の皆様方への心構えを促すと言う意味で開いて申し上げますと、例会前の最低30分あるいはそれ以上前に参上する、事務局の北阪さんと当日の例会運営ももうもちろんしかかっている募金や行事他クラブ行事など様々な地区の打ち合わせ、例会進行の仕切り、例会後の美貌打ち合わせ、月に1回の理事会の進行、地区の会長幹事会への定例出席確か我々の頃は毎月ガバナーの意向で開催されていました、ロータリークリスマスのトナカイ薬(体格が大きくて着ぐるみのサイズが合わず、体を縮こまるように汗だくになってきていた記憶があります)これが1番大変やったかなぁ、などなど。でもこれを1年間回せたことで初めてロータリーと例会運命が接近することができまた身をもってへ覚えることができる大変良い経験だったと記憶しています。残念だったのはこの時は100%出席できなかったことです。
そしてある日突然の訃報が飛び込んできました。会長経験者の柴田さんが異動中の新幹線内で突然亡くなられました。乗客が気づき新横浜で降ろされ、救急搬送された先の病院についた時には既に息が途絶えていたと言う連絡が幹事に入ります。まだ50され最後は車椅子でないと例会にも来れない状態でした担いで乗り降りお手伝いした記憶があります。体の筋肉が衰えていくような難病だったようにとの事を聞きました。
お葬式の後しばらく経って京都の自宅に会長と一緒に弔問でしたときの記憶が鮮明です。東山の一鶴にある狭いご自宅、奥様は既に病気で亡くなっておられ、お嬢さんが一人。あと寝たきりのお母様と高齢のお父様との同居でした。その時彼女はまだ中学生位で我々と目を合わすこともありませんでした。その後もずっと気になっていましたが、大学生の頃から毎年ロータリーXmasには参加してくれています。
ここからは北阪さんからの情報ですが、大学時代は「関西大学ローターアクトクラブ」にも所属しておられ、ロータリーとの縁は繋がっています。うちのRAC創設時にも小林会長のたっての希望で入会をお願いしましたが、丁度ご結婚を考えておられる時期で創設メンバーに入って頂く事は叶いませんでした。昨年の3月に入籍(ご結婚)されて、お仕事も続けながら頑張っておられますよ。いまも時々私とはメールのやり取りをしています。今年度もロータリーXmasが開催されていれば参加して下さる予定でした。
と言うことで、お父さんの意思を継いで、仕事やロータリに関わり続けてくださる事は本当に尊く感じています。
幹事のお勤め終えてしばらくした頃、温めていた独立の話が動き出しました。生命保険の仕事を通じて経営者の人たちと広く、広く、深いお付き合いになるほど、保険に関する知識だけでなく、財務面や人材育成面など経営に関する幅広い知識と情報がより求められるようになりました。一方で独立して代理店に移行するためには、お客様の契約を全てを置いて行かねばならないと言う変なルールがありました。私への信用でお手伝いさせてもらったお客様ばかりで、このルールに納得できなかった私は、ソニー生命の経営との長い交渉を経て、最終的に契約をすべて維持したままの代理店として、初めて独立することができました。今ではその他に損害保険事業、コスト削減事業とM&A支援事業を看板に掲げて、おかげさまで11年目を迎えることができました。随分宣伝させていただきました。
開業してさぁこれからと言う時に、妻が大腸癌ステージ4の告知を受け、生まれて初めて膝から崩れ落ちる経験をしました。このときばかりはありとあらゆる治療法、治療薬を研究し、手ごたえがあると感じたモノは取り上げて足を運びました。幸社員さん達の協力もあって治療に専念することができました。入院、手術、転移、抗がん剤治療、温泉治療そして放射線治療など一進一退を繰り返しましたが、最後は本人の希望で芦屋病院のホスピス病棟で、私が初めて水に電話した夜、腕の中で静かに息を引き取りました。2015年3月10日、待っていた桜の開花を見ることなく召されました、去年55歳の寿命でした。
もう何も考えることはできず、会社もたたむことになるんだろうなぁ、と思っていたところに直会長のお話が飛び込んできました。
実はこの話には伏線があって、2年前に最初の話があったときには、順番ちょっと早くないですかぁってやんわりお断りしました。だから翌年はお話が来るんだろうなぁと半分覚悟していたところ、今度は反対にもう1年飛ばしてもらえますかーみたいな話があって、3年目の正直でその時お話はお引き受けしました。幹事さんをどなたにお願いするかいきさつはあったのですが、最終的にエースのRC佐田幸夫さんに的を絞ってご相談したところ、喜んでお引き受けしますと快諾してもらいました。私の会長年度が無事円満に終えることができたのは、本当にRC佐田幸夫さんによるところが大でありました。改めてRC佐田幸夫さんにここで御礼申し上げます、ありがとうございました。ご覧の通りルックス、爽やかさ、全てに勝る佐田さんですが、私は「さ」が1文字多くてこれだけは負けていません。ここ笑ってもらうとこなんですけど。
ちょうどこの年は創立15周年に当たっており、台北華山ロータリークラブから16名の会員とその家族も記念式典に迎えて、盛大に挙行することができました。ここでも秋山実行委員長の下、副委員長に池山さんを据えることで、盤石の実務型委員会布陣で記念行事を成功裡に乗り切ることが出来ました。池山さんには改めて御礼申し上げます、大変お世話になり、ありがとうございました。会長就任の挨拶では、団体活動が苦手なのでいろいろご迷惑をおかけしますと言うような勝手なご挨拶をした恥ずかしい記憶があります。そうした自分に鞭打っての例会出席100%は今でも勲章です。
そして翌2016年には台北華山ロータリークラブ創立10周年式典への訪問につながります。
2017年の三回忌を終えて、精神的にほとんど漂流していた私に、友人からの励ましと紹介もあって新しい出会いの機会がありました。勇気も必要でしたが、今では菅山明美さんから健康管理と生き甲斐を得ることができて、友人には心から感謝しています。2019年の伊勢神宮参拝ツアーには二人で参加する事も出来ました。モンゴルウランバートルでの米山世界大会にも2人で参加してきました。彼女は横浜在住で神戸との2拠点生活のため、例会が欠席でがちでお許し頂きたいと思います。
このようにロータリーには例会だけでなく、国内にも、グローバルにも様々な活動の機会があります。皆さんそれぞれに興味があり、自分に合った活動を見つけて、仲間を増やしながらご縁が出来たロータリーライフを実りあるものにしてください。
最後に3月のお当番予定が都合つかず、快く今日との交替を引き受けて下さった林さんにお礼申し上げて、終わりにしたいと思います。長い時間ご清聴くださりありがとうございます。