「感じるコミュニケーション」 花谷 尚嗣 会員
今日の社会では、あまりにもコミュニケーションがメッセージの送り手側からの一方通行になりすぎているように思う。受け手の顔が見えていない。両者の間に生じるある種の関係づくりが大切なのだから、もっと、一人ひとりの人間を結びつける絆(きずな)としてのコミュニケーションのあり方を考え直してみる必要がある。私は、その第一歩は、まずお互いに分かりあえる関係づくりができるかどうかにかかっていると思う。
今日の脳科学では、5歳くらいの子どもでも、すでに人の心を理解する能力が備わっていることが証明されているそうだ。無意識に人の心に共感できるシステムが、人間の脳の中に組み込まれているという。知識としてではなく、感性としてである。
赤ちゃんが親の真似をする、もうそれだけでも会話が成立しているらしい。この場合、親が赤ちゃんの気持ちに共感すれば、赤ちゃんも共感するということ。この事実は、たいへん重要なことを、私たちに教えてくれている。
これは「人の心がお互いに、どれだけ分かりあえるかということが、共感につながっていく」という事実の証明である。共感とは、文字通り、共に感じると書く。共感なくして、本当の意味でのコミュニケーションはありえない、と言ってもいいのではないか。
私たちは日常的に、「お客様満足」という言葉をよく使う。「お客様のために」とか「お客様は喜んでくださるはずだ」というように。
しかし、こうした言葉も一方的な考え方によるものであって、お客様のことをよく分かりもしないで、自分の都合でお客様に押し付けているだけではないのかと、私は最近、そう考えるようになった。
万博に沸き返る上海のホテルの支配人が、テレビ局のレポーターに「このホテルが大切にしているコンセプトは何ですか」と質問されて、「商品とサービス、それとお客様のことがだれだけよく分かっているかという認識です」と答えていたのには、とても感心した。
こういう発想は、少なくともこれまで日本ではあまり表には出てこなかった。お客様の心を感じ取るためには、まず、これが出発点にならなければいけない。納得させればいいなどという理屈ではないのである。
言葉だけで成立する人間関係などは存在しない。人との関わりの中で、どれだけ相手の心を、気持を理解できるかということが大切なのである。人間的な心の通い合いこそ、コミュニケーションの本道であると考えたい。人は皆、考え方も感じ方も違う。考え方の違いは、話し合いでお互いに歩み寄ることはできるが、心や感じ方の違いとなると、その人の人間関係を左右するばかりでなく、
その人の行動にも大きな影響を及ぼす。
男女の性状の違いも、コミュニケーションの善し悪しに出てくる。感受性の豊かな女性は、人間としての気持や感情を大切にして行動する。一方、男性はまず納得できるかどうかを判断し、理屈に合わない行動はしない。これからは、女性の直感的に人の本質を見抜いてしまうという感性を見習って、心を感じあえる関係づくりを大切にしたいものである。
パソコン時代に入って、今日では通信も交流の仕方も変わり、仕事のやり方も変わり、すべてが流動性をもっている。そんな中で、新しいタイプのコミュニケーションのあり方が問われている。主張するコミュニケーションから聞くコミュニケーションへ、そして「感じるコミュニケーション」へ。これが今日、皆さんにアピールしたかったことである。
一人ひとりがお互いにつまらない自我を主張することなく、お互いの胸の中に飛び込んでいくことができれば、共感が生まれる。
理屈や知識で納得しあうのではなく、心と心でふれあう、そこから生まれる感動を、私たちは、仕事の上でも日常生活でも取り戻さなくてはいけない。