「自己紹介」 竹川 充 会員
私は1961年2月28日生まれで現在58歳です。
京都生まれの京都育ち、家族構成は歩いて5分のところに実家のある奥さんとこの4月から就職して大阪で一人住まいを始めた
一人息子、そして二世帯住宅で1階に独立して住んでいる母親がいます。
家から徒歩10分のところにある世界遺産醍醐寺は”そうだ、京都行こう!”のポスターに最多の4,5回登場した桜と紅葉でとても有名なお寺です。豊臣秀吉が花見をしたことでも有名で国宝75,522点、重要文化財425点を所蔵する日本でも有数のお寺です。
境内で市川海老蔵が歌舞伎をしたり、ゆずがコンサートをしたこともあります。
醍醐寺と反対方向に10分歩くと小野小町が住んでいたという随心院というお寺がありますがこちらは時代劇の撮影場所として有名で木村拓哉が忠臣蔵1/47で、堺雅人が大奥でロケに来たこともあり、つい最近では水谷豊が無用庵隠居修行3のロケで来られてました。
家のある醍醐古道町も中心部には全長200mくらいの醍醐天皇陵という前方後円墳があり、山のふもとでホタルも生息する自然豊かな場所です。近くの山科川にはカワセミという背中がブルーでお腹がオレンジ色の綺麗な鳥が住みついており写真愛好家の方たちが毎日のように大勢で撮りに来られてます。自分も大きな望遠レンズと一眼レフカメラと三脚を購入して週末にたまにカワセミを撮りに行ってます。
Facebookの写真アルバムにカワセミの写真もいっぱい投稿してるのでもし良ければ見に来て下さい。
小学校では父親が自宅で習字を教えていたので自ずと習字を習うようになったり、放課後は野球をして遊んでましたが、中学校では友達に誘われてサッカー部に入りました。それでサッカーが好きになりサッカーW杯は西ドイツ大会決勝の西ドイツ-オランダ戦以来前回のロシア大会決勝まで主要な試合はずっと生中継で見ています。
自分のことではないのですが小学校、中学の同級生に1978年春の甲子園で史上初めて完全試合で前橋高校に負けた比叡山高校のエース吉本君がいたり、1998年夏の甲子園決勝で松坂大輔の横浜にノーヒットノーランで負けた京都成章の奥本監督 (現在NHKの甲子園解説をしてる)がいたりします。出来れば勝って有名になって欲しかったです。
今現在も趣味として楽しんでいる音楽については中学生の頃からビートルズを聞きだしロックが好きになり現在に至りますが、現在ではジャズ、クラシックも好きで、月に4,5回いろんなライブを聞きに行きます。
一番の思い出は5年前に行ったイタリアペルージャで行われたウンブリア・ジャズ・フェスティバルで世界的ジャズピアニストの上原ひろみさんのステージを海外の名だたるカメラマンと一緒に撮影させてもらえるという光栄に預かったり他にも素晴らしい経験をさせてもらったのですが話すと長くなるので又の機会にお話しさせてもらいます。
高校は帰宅部で大学では英文学を専攻したのですが何故か書道部に入りました。
これは大学で知り合った友達が書道部に入って誘われたのと小学生の時に家で父親に習字を習ってた影響が大きいと思います。
でもこの書道部は体育会系クラブよりも酒の強いクラブとして有名で新歓コンパではクラブ伝統の行事で鴨川正座という鴨川の河原に正座して先輩の話を聞くのですが何人もの部員が先輩の話を聞きながら嘔吐していたので汚物が前の人に流れるという壮絶なシーンが懐かしいです。
夏季合宿での打上げコンパではとことん飲まされてほとんどの男子部員がエチケット袋に頭を突っ込んで寝ていました。エチケット袋に頭を突っ込んで寝るということはどういうことか大体想像出来ますよね。
就職は消費者金融のプロミスで電算部に配属され入社式が終わるとそのままバスに乗せられ静岡県三島市に連れて行かれ半年間沼津のコンピュータ学院で勉強し、大阪に戻ってからは駅前第2ビルで勤務させてもらいました。
当時はサラ金と言われてマスコミにも叩かれたりしてました。バックに大手の金融機関がいて株式も上場するのが分かってましたが3年後の昭和61年4月に電算部の先輩社員に誘われてアガ・システムの創立に参加させてもらいました。
この時一緒に参加して取締役になったのが5年前に亡くなった先代の故相田社長でした。当時の相田さんは今の私なんかより遥かに元気に夜遊びしてピンピン飛び跳ねていたのですがまさかの脳腫瘍に侵されて1度は手術で回復したものの4年後に再発して帰らぬ人となってしまいました。
アガ・システムが出来たころに同じくプロミスの電算部から独立して会社を作った方も何人かいて頑張って来られましたが相次いで会社が吸収されたりして無くなりました。幸いアガ・システムは周りの方に助けられて33期目も何とか乗り切れたのでこの先も独立して存続し、次の世代にバトンタッチ出来るよう頑張りたいと思います。
最後に、私を大阪ユニバーサルシティロータリークラブに数年の間誘い続けていただいた小林さんに感謝するとともに、ロータリアンとして社会のために活動していきたいと思います。皆さま今後ともどうぞよろしくお願いします。