「奈良の文化について」 髙橋 浩治 会員
先日、ヒトラーの最期の日々を描く映画「ヒトラー ~最期の12日間~」や昭和天皇が戦犯として裁かれることをいかにして回避したかを描いた映画「終戦のエンペラー」を見て、終戦後、日本が救われたのは昭和天皇がいたからこそとの思いが強まりました。
皇室の系図を調べてみると、初代天皇である神武天皇が即位したのは紀元前660年。それ以前のイザナギとイザナミの国産み(日本創生)や天孫降臨などは神話の時代。神武天皇が東征を発議し大和の地(奈良)で即位され、現在の125代・今上天皇までの系譜が出来上がっている。
神武天皇が日向(宮崎)の地で東征を発議し、美々津よりのお舟出が風の具合が良くなり予定より1日早まったため、人々は天皇の衣のほころびを立ったまま縫い、用意していたお餅の材料を搗きまぜたものを捧げました。現在も美々津の地名「立縫」や、郷土菓子「つきいれ餅(お舟出だんご)」として伝わっています。
神武天皇が生駒の山を越え、大和の地に入ろうとしたが、豪族が待ち構えていた。その戦いでは太陽を正面にして(東を向いて)戦った為、敗北するも、兄・五瀬命の助言もあり、太陽を背に受けて(西を向いて)戦うことにし、神武天皇は熊野へと向かう。熊野の地で神の使いである八咫烏と出会い、八咫烏の案内で熊野から吉野の川辺を経て大和の宇陀に至った。宇陀から攻め入った神武天皇は豪族に勝利し、畝傍橿原の地にて即位した。
その後、遷都などを繰り返し、710年に平城京に都を遷す。
奈良はシルクロードの東の終着点であり、シルクロードを経て芸能・・・雅楽、踊り、音楽など様々な文化が日本の伝来し、春日大社や東大寺に奉納された。
毎年12月には春日大社の摂社・若宮神社の祭祀として、「春日若宮おん祭」が開催され、そこで奉納される能や神楽、舞楽などは芸能の継承・保存に大きな役割を果たしている。すなわち日本の芸能の文化の発祥ともいえる。また、東大寺の倉庫であった正倉院では、平城京の時代を中心とした多数の美術工芸品が収められており、現在では国宝に認定された品物が多く所蔵されている。
最近、伝統芸能が滅びつつある。伝統芸能は神武天皇の時代から守り伝えられてきた歴史的・文化的価値のある国民の財産である。その国民の財産である伝統芸能を保存・継承し、次の世代に伝えるために努力していかなければならない。