「特許の話 — サブマリン特許 ― 」 福島 三雄 会員
1929年10月24日のニューヨーク証券取引所での株価大暴落に端を発した世界恐慌について、米政府は、その原因が大企業による市場の寡占化にあると分析し寡占化の要因は特許制度にあると考えたのである。このため1930年から アンチパテント政策を採用、例えば反トラスト法(独占禁止法)を強化した。この政策は、1970年代までの約50年間継続することとなる。
しかし、1970年代のアメリカは、経済成長が低迷し、失業者が増加しで経済状況が悪化の一途をたどっていた。1980年代のレーガン政権時代になると、産業競争力委員会によりヤングレポートが発表され、そののち、知的財産権の保護が強化された。知的財産の保護が強化されたことにより、米産業界の競争力が回復に転じた。プロパテント政策への変更である。
だが、プロパテント政策は、新たな問題を生じさせることにもなる。メルソン氏という発明家がいる。バーコードの読み取り技術などのサブマリン特許を成立させ、巨額のライセンス料収入を獲得した人だ。当時のアメリカの特許制度では、特許権が成立するまでは何年かかろうとも秘密状態で審査され、一般に公開されなし。しかも、特許権は、成立してから17年間存続することが認められていた。
出願から10年、15年という長年月経ってから突然に特許権が成立し、しかもプロパテント政策によって強力に保護される特許権が浮上してくるのである。10年、15年経つと、有用な技術は一般化し、多くの製品に採用されることがある。特許になるとわかっていれば、あらかじめ回避していたであろうが、内容はもちろん特許出願されていること自体秘密状態なので、手を打つことができない。
産業界に広く採用されたのちに、特許権の存在を主張されても今更設計変更できないことも多いのである。日本の大手企業を含む多くの企業が特許侵害で訴えられ、ライセンス料を支払うこととなったのである、。
1999年年になってようやく,、出願公開制度を採用する法改正がなされ、この問題を解消するに至るが、それまで、多くのサブマリン特許が生まれ、意図的にサブマリン化も図られたのである。法改正されたことによって、出願された後、一定期間経過するとすべての出願が内容も含めて公開され、将来特許になる可能性のある出願内容をあらかじめ見ることができるようになったのである。
ちなみに日本では、昭和46年の法改正によって、出願公開制度が採用されている。