「自己紹介」 皆川 祐一 会員
皆川祐一といいます。昭和47年(1972年)2月13日に京都市で産声を上げました。当時、実家は、京都地方裁判所の東隣、京都御所の南側に面する丸太町通とその南側の竹屋町通との間の場所にありました。その場所で幼少期を過ごすのですが、京都市内中心部で庭付きの家はめずらしく、実家にももちろん庭がなかったため、京都御所の庭が自分の庭みたいなもので、休日の朝などは自分の庭をよく散歩しておりました。その影響でまるで公家のようなとても上品な私に成長したのではないかと思っております。また、京都地裁の駐車場が遊び場でして、その影響で法律に関する職に就いているのではないでしょうか。関係ないですよね(笑)
しかし、三つ子の魂百までという言葉がありますように、幼少期の環境や教育が人格を形成するうえで重要と言われています。一説によりますと、人の「性格というのは脳の大脳辺縁系と呼ばれる部分が生後の体験に基づき学習し、作り上げると考えられています。もちろんこの大脳辺縁系は大きくなってからでも自身の体験に影響を受けるため、大きな出来事に遭遇するなどといった経験があれば性格が変わることもあるでしょう。事実、心理学においても幼少期以外でも性格は変わると考えられています。しかし、性格を変えてしまうほどの大きな出来事なんてそんな簡単に起きることではありません。従って3歳までに身につけた性格は良い物であれ、悪いものであれ、その後10年をかけても簡単に変えることはできないと言われています」。
(出典:http://幼児教室ナビ.com/individuality/)
話が少し脱線しました。
小学生のとき、京都市内から京田辺市(当時は田辺町)に引っ越します。小学生時代は、高学年で私立中学校の受験に向けて勉強したことを覚えています。なぜ中学受験をすることになったのか、後から考えるとよくわかりません(笑)
そして、中学・高校一貫教育の学校に入学するのですが、6年間遊びまくりました。中2で麻雀を覚え、・・・。そのツケが大学入試の結果に表れます。見事にすべて不合格。勉強してなかったのだから仕方ないと開き直り、自動車運転免許を取得するために教習所に通い、受験勉強を再開したのが6月くらいからでした。
なんとか関西大学に合格しましたが、入学するとこれまた勉強なんて、ですよね。当時はバブル全盛期で関関同立を卒業していればまあ名の知られた企業に就職できるって風潮でしたから。ところが、2、3回生の頃にバブルがはじけてしまい、就職難に。成績上位なら推薦枠で一流企業に就職できたのですが、勉強してなかったので成績は悪いので推薦などしてもらえるなんてとんでもない。
ある日、どうしようかな、なんて考えつつ大学の階段を降りたとき、目に飛び込んだのが「弁理士試験研究会」の案内ポスター。「弁理士」って資格をそれで知りました。弁理士について少し調べると、どうやら高収入が得られるみたいなので、教授に相談すると、教え子が形成している特許事務所を教授に紹介してもらえることになり、その特許事務所に就職しました。そこから弁理士を目指すことに。
このような生い立ちから、追い込まれないと動かない、動くとある程度の結果を出すことができるといいますか、結果がついてきてくれる強運の持ち主と自分では思っています(笑)