「詳しく自己紹介ある意味自画自賛」 川上 大雄 会員
川上大雄 1957年昭和32年11月11日生まれ(さそり座)
私は大阪厚生年金病院(現大阪病院)で生誕。
会社がまだまだ小さく、母も駆り出されていたため幼稚園の頃より、祖母に預けられる。
祖母は非常に厳しく、一般的な甘やかしてくれる環境ではなかった。 まだまだ、乳離れをしている歳ではなく、祖母から与えられた五十音のスタンプで母に手紙を書いていた。
なぜ、周りの子供は親元から学校に通うのに、自分だけ祖母に預けられ、祖母の家から学校に行くのか?
そうだ、自分には他の子供とは違う何かが課せられているのだと変に自覚する。
その頃、自分を支えていたものは読書である。 あらゆる本を読みあさっていた。
小学校4年、5年で転校するまで、テストで100点しか取ったことがない。
子供の遊びであるべったん、ビー玉は不良がするもので、してはいけないものだと思っていた。 先生からは優等生のレッテルを貼られ、授業前にドリルの答え合わせをするのが、日課であった。
運動はまったくしない。 当然、体育は2の評価であった。
しかし、小学校5年になる時、家業も順調になり、現在本社のあるところに4階建てのビルを建て、その中に居を構えることになり、
転校した。 転校した学校は野田小学校、この学校はその当時、大半が中央市場の子弟(悪ガキ)が通っていた。
それまでとは明らかに環境というより文化が違った。
その当時の中央市場は景気もよく、親の仕事は午前中で終わり、午後はギャンブルの世界。
その子供もいつのまにか、おいちょかぶ、チンチロリンを覚え、賭け事に明け暮れる日々が始まる。
当然の如く学校の成績は急降下、母もビックリ、何が起こったのか解らなかったと思う。
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