「私を育てて下さった人たち」 花谷 尚嗣 会員
今日は、私をこれまで育てて下さった人たちのお話をしたいと思います。仕事というもののイロハ、人の有り様、人と人との心のつながりの大切さを一から教えて下さった数多くの人たちのお陰で、今の自分があります。教えられたこと、学んだことは、今でも何物にも代えられない私の財産です。
私は5歳の時に交通事故に遭って生死の境をさまよったことがあり、その後遺症が後々まで私の生き方に大きな影響を及ぼしました。ずっとからだが弱くて過保護に育てられ、そのうえ中学、高校、大学と、スポーツやクラブ活動にも縁遠くなって、いつも友だちに飢えていました。転機となったのは、海外のホームステイでドイツへ行った18歳の時です。心の温かいすばらしい家族から、一番最初に家のカギを渡されて、初めから家族の一員として本当の息子のように迎え入れてくれたのです。ここで私は、人間として何が一番大切かを学んだように思います。
私の学生時代は、ほとんどが海外旅行と音楽に明け暮れていました。そのための資金稼ぎにバイトにも精を出して、ショウなどの音楽構成のディレクターになりたいと思っていたのです。実際に、当時のFM大阪の深夜番組などで音楽の選曲のバイトをしていたこともあります。
しかし父は、すでに、私の大学卒業を待ちかねて、私を花谷建設の跡取りにするために、修業先まで決めていました。建設のことなど何一つ知らないのに、大手ゼネコンの面接を受けさせていただけるようにお願いしていたのです。人事部長に面接で、あなたは大学で何を学んできたのか、どのようなクラブ活動をしてきたのかと質問されても、「私は何もしていません」と答えるしか仕方ありませんでした。すると人事部長は「あなたは素うどんやな」と言われたものですから、若気の至りで「素うどんはカレーうどんになる可能性があります。天ぷらうどんにもなる可能性もあります」と生意気な返事をしたら、「あなたは面白い人やね」と言われたことを、今でもよく覚えています。
就職が決まって、社会人としての最初の仕事は、京都の建築現場の事務職でした。事務職といっても、50歳くらいの女性といっしょに、朝7時から事務所の掃除、洗濯、朝ご飯の段取りをします。ぞうきん掛けをいい加減にしていたら、「あなたの朝の1時間は会社の掃除をするのが仕事、ぞうきんはそのための道具や」と叱られました。仕事の厳しさを教えられた最初の出来事だったように思います。
現場事務所で1年間、いろいろな勉強をしたあと、京都の営業所へ転勤して、所長の営業を支援する秘書のような仕事につきました。ここで私は、お客様をもてなすというのはどういうことかを、徹底的に学ぶように育てていただいたのです。まず最初に、京都のお土産と神社仏閣など観光地のリスト、お菓子や食べ物、飲み屋や食事処のリストを書き出した20枚くらいの用紙を渡されて、これを1週間で全部、自分で見て、食べて、歩いて観光地を確認してきなさい、実際に体験していないと、お客様に勧められないでしょう、というわけです。
23~4歳の時には、夜の祇園の店やお茶屋さんの勝手口への出入りも許されて、有名なお茶屋のおかみさんに、おもてなしの基本をさりげなく教えていただいたように思います。もちろん、あからさまにおっしゃるのではなく、それとなく私に気づかせて下さるのです。本物の心配りのあるビジネスというものは、いきなり商品につないでいくのではなくて、人と人とのつながりが大切なのだという教えを、いただいたと思っています。
花谷に入社した直後にも、その後、私が心の師と仰ぐ先生との幸運な出会いがあり、その先生から、「光って輝く」という言葉を教えていただきました。ダイヤモンドは自ら輝いているわけではない、外から光を当てられて輝くことができるのだと。
私は後年、社長に就任した時に、この教えを、花谷の企業理念として、「自分も周りも輝くために、喜びを共有しあえるような会社にする」と表現しました。私がこのような企業理念を掲げた根本には、両親や祖父母の、いい生き方を見て学んだことが大きく影響しています。
父親というのは、現在の花谷建設の会長のことですが、いつも口癖のように、「自分だけがよくなったというのではいけない、自分だけが幸せになってはいけない、今の自分を支えてもらっているのは、これまで導いてきて下さった多くの方々のお陰であり、会社の社員であり、お客様であり、協力会社の皆様なのだ、それを忘れるな」、と言う人です。保護司の務めを長年続けているのも、常にそういう思いがあるからなのでしょう。
母もまた、長年、地元の老人会で踊りやお花を教えたりしていますが、老人に生きる楽しさをいつまでも失ってもらいたくない、と考える人なのです。
私は幸せな男です。このロータリークラブへの入会も、これを勧めて下さった阪和ホーロー株式会社の高野社長との、20年ぶりの再会があって実現したものです。しかも花谷建設は、このクラブと縁の深いUSJで仕事をさせていただいているという巡り合わせは、とても偶然とは思えません。私は、より大きな視野で、これからの企業経営を考えていくうえでも、一からこのクラブで勉強させていただきたいと思っています。皆さん、どうぞよろしくお願い致します。長々と、まとまりのない話を聞いていただいて、ありがとうございました。