「寺院再建と和釘」 鈴木 正明 会員
本年3月8日、阪神淡路大震災により半壊しました神戸安養寺が再建かなって落慶法要の日を迎える事ができました。
私が初めて寺院を訪ねたのは、今から10年前の平成16年11月です。
ご住職は震災後、浄土宗兵庫教区責任者から請われて福井県から来られたお方です。面談の際、本堂は木造建築で再建したいとの要望でありました。それも石場建ての伝統工法でつくりたいとの事。
おもしろと思う反面、経験の無い私にとっては無理な話であります。
当時石場建建築は、建築基準法構造規定にない工法でありましたので確認申請が難しいとの事で、国会での審議会にも取り上げられ国土交通省の審議官が石場建ての木造建築物の計算ルールを今後検討する事を答弁していたかと思います。今まで宮大工が造り上げた工法を、計算ルールにのせることが無理な話までは自分自身も分りますが、まさか、その中心に自分自身を置くことになろうとは思いませんでした。わからない事ばかりで何から手を付けようと考えたとき日曜日は奈良へ、法隆寺 唐招提寺 薬師寺へと毎週通いました。
春の田植えの時期、秋までは少しは進むであろうと思いましたが、秋の赤とんぼが無性に目障りで何もできなかった自分を蔑み、又、春の季節で去年と同じで秋までは何とかしようが、又、秋の稲穂が眩しく目に刺さる事が3年間程続きました。その間、西岡常一棟梁の本にはじまり、いろんな本から知識を得ようとしました。今では事務所に寺社建築の本も書籍棚の一角を占めております。その中で白鷹幸伯さんの『 鉄 千年のいのち 』と出会い、読み進む内、本人に会いたくなり愛媛県松山市に出向いたのが、和釘との出会いでありました。 続く
安養寺は由緒ある寺院、江戸時代尼崎藩主青山幸利公の菩提寺であったそうです。その後明治の廃仏毀釈、昭和の時代は高射砲陣地として立ち退きを予期なくされ現在に至るそうです。戦後高射砲陣地は神戸市大倉山公園となり、公園内に図書館が建設され、多くの人々が訪れる場所になっております。
この地に出向く事がありましたら、お寺さんをお尋ねください。目には見えませんが千年の釘が待っております。