「私の趣味」 林 裕之 会員
「ドラゴンボート」について話します。
ドラゴンボートとは、船首に龍の頭、船尾に龍の尻尾をつけて、左右に漕ぎ手が10人ずつ、船首に太鼓、船尾に舵取りの合計22人が乗ります。左右の漕ぎ手が太鼓に合わせて漕ぎます。
ほとんどの試合が直線距離のレースで、200m、250m、500mなどがあります。大体、250mで1分弱、500mで2分弱です。オープンの部、混合の部、女子の部、シニアの部、ジュニアの部など様々な競技カテゴリーがあります。
現在、世界78ヵ国で5000万人の愛好者が楽しむ人気の水上スポーツ競技で、「ニュー・スポーツ」として目覚ましい勢いで普及しています。ドラゴンボートは、女性や身障者を含み、誰でも容易に楽しめる典型的な「ソフト・スポーツ」という面と現代スポーツの特徴である真剣勝負的要素も確保しています。
ドラゴンボートは、紀元前3世紀の中国で生まれた世界最古の手漕ぎ舟の競漕であると言われています。
長崎では、ペーロンというものがあり、今から約350年前の中国から伝えられ雨乞いや水神信仰などの農耕儀礼と重なり、広まってきました。また、兵庫県相生市の相生ペーロンは長崎生まれの造船所の工員達が大正時代に持ち込んだことからはじまりました。沖縄にはハーリーというものがあって、約600年前に汪応祖(ワン・オウ・ソ。豊見城城主、第二代南山王)が初めてハーリー舟を伝えたようです。
これら伝統的な竜舟競漕は、舟の形、漕ぎ手の数、距離、等等ルールがまちまちでした。これを統一し競技化したのがドラゴンボートです。
現在では、1年交替でADBA主催のアジア選手権大会、IDBA主催の世界選手権大会が開催されています。オリンピック評議会が主催するアジア大会では2010年に正式競技に採用され、同じく東アジア大会では継続的に正式競技として採用されています。
国内では全国で年間20を超える大会が行われており、アジア選手権大会、世界選手権大会に出場するための日本代表チームを決定する「日本ドラゴンボート選手権大会」は毎年7月の天神祭の奉納行事として、天満橋の八軒家浜で開催されています。日本全国から50を超えるチームが集まり、熱戦を繰り広げています。
私がドラゴンボートを始めたきっかけは、2005年春、友人の結婚式の2次会で「オリンピック、出ない?」と誘われたことです。なんの話かよく分かりませんでした。その後、一緒に誘われた体育教師は参加してはまっていきましたが、僕は、あの美魔女へのプロポーズ大作戦中であったので、断っていました。
めでたく結婚後の2006年6月頃、はめて練習に参加しました。最初のウオーミングアップが、3kmほどのランニングの後、腕立て、腹筋、背筋、ランジ、各30回×3セット。ここで、前日の酒が逆流し始めました。まだ舟に乗っていません。いざ船に乗って漕いでみると、しんどいのなんの。ただ、海上で爽快感を感じる場面がありました。
約1ヶ月後、早速試合に出ました。天神大会=日本選手権大会です。当時の所属チームは混合カテゴリーのチームで日本3位でした。僕は2軍で出場しましたが、準決勝敗退。しかし、レースは素晴らしく、30歳を越えてから、こんなに熱くなれるものか、と感動しました。その後、レース、練習、レース、練習を続け、嫁にも多大な迷惑をかけながら、ドラゴンボートにどんどん深入りしていきました。
20枚のパドルが完全に調和すると爽快に艇速が伸びます。漕いで隣の船を抜き、また隣が漕いで抜かれ、抜きつ抜かれつのデッドヒート、そして結構荒々しい競技なのに、最後はコンマ差で勝敗が決します。コンマ差で勝ったときの興奮は、堪えられません。
目指すは、天神大会優勝、すなわち日本一、そして日本代表としての国際大会出場です。2007年、2008年と優勝できませんでした。2009年、監督も交代し、新体制で、チーム一丸となって、日本一を目指しました。
決勝のスタート地点はとてもすばらしく、観客は2000名、水上には100名以上がいて、勝負をする。夕暮れ時の景色と相まって、とてもすがすがしく、本当に武者震いをしてしまいます。そして、30半ばになって、こんな舞台に立てることに感謝してしまう、そんな気持ちでレースに臨みました。
結果は、なんと優勝!!コンマ2秒差のぎりぎりのレースでした。優勝したので、2010年5月の中国ウーチンで開かれたアジアドラゴンボート選手権大会に出場しました。アジアの壁を感じましたが、ニッチなカテゴリーでは銅メダルを獲得できました。2010年7月の日本選手権では連覇且つ1、2フィニッシュとなりました。
国内敵無しといってよくなり、こうなると他のカテゴリー、特にオープンカテゴリーに興味が出てきます。当時オープンカテゴリーには絶対王者というべき磯風漕友会というチームがいました。2010年11月には、オリンピック評議会主催のアジア大会がありましたが、そこには、オープン優勝の磯風が選考されて出場しました。五輪マークのあるIOC関連の大会は非常に魅力的です。2011年の天神大会は、やはりオープンに出場したいということで、オープンカテゴリーと混合カテゴリーにエントリーしました。私はオープン艇に乗りましが、オープン、混合共に2位に終わりました。
その後、出場カテゴリーについて、チーム内で激論を重ねた結果、僕らはチームを離れ、2012年9月、新チーム「bp」を結成しました。最初のメンバーは10人でした。
ここからは本当に大変でした。10人しかいませんから、メンバー集め、練習場所確保、舟をどうするか?備品は?等々。
ただ、信頼できる仲間達と一からチームを作るのは、新しい楽しみと興奮がありました。
具体的には、水槽を作る、舟購入。ゴミ拾い等のボランティア活動もしています。現在では、メンバーも増え、50名を超えました。スポンサーも累計で50社を超えました。ただ、「bp」は新生チームですので、舟購入費等が嵩み財政難ですし、メンバーは学生が多く、遠征費、ユニフォーム代等が嵩んでいますので、現在、幅広くスポンサーを募集しております。いつでもお声がけ下さい!
2013年、新チーム「bp」結成後、最初の天神大会では3位となりました。1位磯風漕友会との差は2.25秒です。なお、このときの上位が辞退したため、2014年5月にマカオで開かれたアジア選手権大会に出場してきました。
2014年の2回目の天神大会は2位で、1位磯風漕友会との差は1.35秒でした。そして、上位が辞退したため今年8月にカナダで開かれる世界選手権大会へ出場してきます。
現在、「bp」は、道頓堀でドラゴンボート大会をやろうと企画しています。戎橋から太左衛門橋まで100m程度のレースで、2艇で競い合うというものです。周辺の商店街対抗など道頓堀を盛り上げるために頑張りたいと思っています。皆様もお力添えを頂ければ幸甚です。
以上、私の趣味と題して「ドラゴンボート」のお話をさせて頂きました。