「小山田光正の自分カタログ」 小山田 光正 会員
自分カタログとは、私が大学出てから17年お世話になった通販会社、フェリシモが入社試験で受験者に出す課題です。
受験者は、「自分」を商品としたカタログを自作してアピールします。
今回の卓話では、その頃を思い出して「小山田光正の自分カタログmini」を作り、私のこれまでの生き様についてご紹介しました。
お話ししたエッセンスはこんな感じ。
①1960.5.11 東京都国立市にて生誕。普通のサラリーマン(ブリヂストン)家庭。
転勤多く、幼稚園3つ、小学校3つ、中学校2つ転校する。 幼稚園入ったのが東京、出たのが久留米。小学校入ったのが久留米ででたのは横浜。中学校入ったのが横浜ででたのは大分。高校出るまで大分で大学から大阪。以来36年関西暮らし。
さて、ここで問題です。私の出身地はどこでしょう?
②中学では剣道部。中学、高校で新聞部。中学、高校、大学と卒業アルバム作ってました。
以来、『編集』ということに関わり続けている人生なんだと思います。
③就職活動ではすでに大きくなってる会社ではなく、当時の15年前のリクルートを探す。と、言いつつそんな会社簡単にわかるはずもなく、なんとなく見つけたハイセンス(現、フェリシモ)を受ける。ところがその当時から知る人ぞ知る会社で、受験者200人、売り上げ70億。なんとか滑り込み入社。
④同期8名で男一人。女性比率8割。
退職するまで17年で売り上げ10倍の700億になる。今や東証1部上場会社。
入社6年目で史上最年少の本部長とかもてはやされて子会社設立。
『カタログに載せられないもの』今で言うところのクロスセル。と言うわけで形のないサービス商品、旅行とか保険を取り扱う。
そこから10年、売り上げ20億、利益1億まで成長。 一時流行ったアレンジメントのキットとレシピのセットとか、冷凍おせち料理の宅配とか、インスタントのお雑煮とか、とにかく治外法権で楽しかった時代。
⑤子会社10年やったころ、社長に呼び出されて『そろそろえぇやろ、全社の販売を見て欲しい』と言われて本体に。売り上げ700億で停滞。 本体では何もできず、何も動かず。ちょうど40歳、役職は本部長。時は2000年ミレニアム。17年で10段階登って、20年であと一つ。定年もあり、仕事やめる時は自分の意思で辞めたいと考える。
⑥17年前はホントに何もなかった。それに比べれば、そこそこ経験も人脈もあり、ここでリセットしてゼロベースになってもまだ20年もある、と考えた。奇しくも子会社やってるときに親しくなった人からの誘いに乗って、株式会社ウェブスの専務となる。ところが1年もたたずに破綻。1年で2000万円が泡となる。
⑦ちょうど大阪産創館ができる年。環境プロジェクト、自治体営業研究会でとれるNO.1と出会う。
ネット集客の流れとマッチ。売り場がなくて困ってるとのことだったのでネットでの販売を提案。地球洗い隊誕生。2002年10月スタート、初月の売り上げは2万5千円。以来、今年で12年。なんとかやってこれましたが、60歳まであと6年。このあたりでもう1段高いところを目指してガンバリマス。