■会長の時間
『われを去る。 ゆえに、われあり。』 (外山 滋比古)
目の前に机がある。その机を意識のなかから消してしまう。本がある。本も消してしまう。壁も、窓も、窓から見える景色も、消してしまう。ありとあらゆるものを消し去ったとき、自分自身が残る。自分も消してしまう。
すべては消え去ったか? そうはならない。
「自分を消した」自分が残る。「自分を消した」自分を消しても、「『自分を消した』 自分を消した」自分が残る……。どこまでいっても、考えている自分が消えることはない。自分を自分たらしめている本質は「考える」という行為にある。
フランスの哲学者デカルトが『方法序説』で述べた〈我思う、ゆえに我あり〉を凡人なりに解釈すれば、そういうことなのだろう。
英文学者、外山滋比古氏(1923~)の言葉は、デカルトのもじりである。意味するところは察せられよう。自分の利益も名誉も勘定に入れず、ただ無心に働いたときくらい、自分という存在が誇らしく、大きく感じられるときはない。
吉野弘氏の漢字を題材にした連作の詩に「忌」と題された一遍がある。
〈 忌むべきものの第一は 己が己がと言う心 〉 (『続続・吉野弘詩集』 思潮社)
【来客紹介】 |
0名 |
|
【出席報告】 |
26年5月23日(第588回例会) |
会員総数 |
出席免除会員 |
出席会員 |
欠席会員 |
出席率 |
35名 |
2名 |
29名 |
4名 |
87.88% |
|
|