「伏見に住んでみて」 豊島 秀郎 会員
私は、去年の4月から、伏見区の紙小屋町という、丹波橋の駅から5分程度のところにマンションを借りて住んでいます。このロータリーができた平成13年4月、夙川に自宅を建てました。夙川に一生住むと思っていた私としては、意外な転居でした。
私には一人息子がおり、中学から、京都駅の南、東寺の境内にある洛南中学校に通っています。ところが、息子が、中学3年の頃から、高校に入ったらサッカー部に入りたいというようになりました。洛南高校のサッカー部の練習場は、伏見区の向島にあります(近鉄京都線で、丹波橋から2、3駅、奈良側)。部活は毎日、夜8時に終わります。これでは、夙川に帰っていると11時近くになります。朝は6時に起きなければなりませんから、勉強をする時間がありません。そこで、転居を考えたわけです。家内は、2軒の自宅の維持はしんどいと言って大反対でした。しかし、何とか説得し、転居に至った次第です。
さて、伏見の印象を2、3点述べます。
伏見は、まず、とにかく道が狭い。又、車を運転すると、なかなか、思った方向に行けません。西に行こうとしても、道が曲がっていたり、一方通行も多く、結局東に行ってしまいます。又、驚いたことは、大阪では、一方通行の道は、自転車のみ反対方向に進めますが、伏見では、原付も反対方向に進めることです。最初は、単なる違反運転と思っていました。
伏見は、京阪で、四条まで7、8分程度で行け、便利なところです。しかし、やはり、京都の北に比べると貧しい。したがって、近くのスーパーなどでは、よい食材を売っていません。家内は、最近は、近場ではほとんど買い物をしていません。
私の住んでいるところは、紙小屋町といって、元の町人町ですが、JRの東側(山側)は、武家屋敷があったところで、毛利町、片桐町、島津町、景勝町、とか、昔の武家の名前がそのままついているところもあります。景勝橋、毛利橋などという橋もあります。このような町名等の名残は、伏見が、一時期、日本の中心地であったことを示しています。
私は、日曜日は夙川で過ごしており、伏見にはほとんど寝に帰るだけですけど、伏見は、京都とは別の存在としても、日本史に深く関わってきた町ですから、おもしろいところかもしれません。
伏見といえば、お酒の生産で有名です。西宮も灘の酒造りの中心であり、多くの酒造メーカーがあります。ブランド名でいえば、白鷹、白鹿、日本盛、大関などが、西宮の「酒蔵通り」周辺にあります。
これに対し、伏見は、調べてみると、伏見酒造組合に属している酒蔵は、黄桜、冨翁、京姫、キンシ正宗、月桂冠、英勲、招徳、松竹梅、玉の光、鶴正宗、豊祝、慶長、月の桂、日の出盛、都鶴、ふり袖、鷹取、神聖、美山、世界鷹、坤滴、蒼空、名君があるようです。
西宮に比べて、酒蔵が小さいです。西宮の酒蔵にも、私が知らないものもあるようですが、概して大きいです。
私は、大阪、夙川でも買える「玉の光」は以前からよく飲んでおり、伏見の酒蔵のお酒は好きです。
私の住んでいるマンションは、キンシ正宗の酒蔵の隣にあります。キンシ正宗が、敷地の一部を売却したものです。又、私は、弁護士になる前の修習時代、京都修習でしたが、その時、招徳酒造に連れて行かれました。そこで、できたてのお酒を飲まして貰い、本当に美味しいと思いました。今回の転居後、近くのスーパー「近商」に行ってみると、そこは、招徳酒造の酒蔵の一部に建てられたものでした。キンシ正宗も、招徳も美味しいお酒です。でも、小さな酒蔵ですから、経営は大変そうです。
以上