花育ての心 Part6 「阪神大震災15周年に想う」 斧原 邦夫 会員
1月17日午前5時46分阪神大震災発生、瞬時にして10万棟余が倒壊、6,434人が犠牲となった。毎年のことでは有りますが、当日は阪神間の各地で、種々のイベントが開催されて居り、亡くなられた方々に哀悼の意を表すると共に、忘れてはならないこの震災体験を活かし後継者に繋ぐ為の集いです。
私も被災者の一人として今年も西宮から神戸迄の15㎞メモリアルウォークに参加しました。今年は15周年の節目であり日曜日であった事、さらに久し振りに皇太子ご夫妻の来神の影響もあり、多数の参加者があり、特に若者達が増え関東地区はじめ遠方からの参加者が多く嬉しく感じました。
被災の激しい地区を歩く訳ですが、毎年復興が進んでいる喜びと、六甲おろしの吹く寒空のもと見知らない参加者がお互い声を掛け合い励まし合っている光景は美しく楽しくさえあり、疲れを全く感じ無い次第でした。神戸到着後、恒例の私の成すべき事は、河田会員のご主人、阪神淡路大震災記念「人と防災未来センター」長の河田恵昭氏へ「ご多忙と存じ一筆啓上」と簡単な添え書きの上、センター受付けにお預けし、労をねぎらわせて頂きました。事実センター横の広場の大スクリーンには、県公館で開催のホスト役河田センター長のご挨拶や皇太子ご夫妻の献花等が映され、多数の参加は各々の深い想いで見入って居られた。
【愛ありて感じ、判り育つ】
さて、本日の卓話のテーマは花育ての心として阪神大震災15周年を取り上げさせて頂いたのは、被災、防災の原点は人の係わりにあり、花育ての心に相通じると感じているからです。
全く偶然ですが、本日の朝日朝刊に地震についての河田先生の耕論が掲載せれて居り、知的、論理的な事は当該記事を拝読し理解させて頂く事として、限られた卓話時間でありますので、私は15年前の被災実体験と想いについて述べさせて頂く事とします。
〈一部省略、箇条書記載〉
○居住地は西宮の夙川。50m西側は芦屋市となる丘陵地。被災後3日間は道路が断絶、陸の孤島となった。
○拙宅は昭和7年建、和風2階家で全壊。2本の支柱に辛うじて支えられ、よじ曲がった状態となった。
○激しく揺れたと云うより、「ドッスン」と地上に激しく叩きつけられた感じでその後振り廻されて始めて地震である事を理解した。
○家族は5人全員無事。各々が幸運に恵まれ、生死は誠に紙一重であった。家族4人が「火事場の馬鹿力」で壁の下敷きとなった私を救ってくれた。
○一歩屋外は、家屋は軒並み全壊又は半壊、電柱は倒れ電線が切れ随所で火花を散らし、ガス臭が臭い火災が拡がらなかった事が不思議な状況。昔小学3年時の大阪天王寺戦災が蘇る。
○全く信じられない「ガス、電気、電話、水道の無い生活」に直面した。飲食は勿論、全く情報の無い不安感、水洗トイレしか知らない子供達の困惑etc。
○平穏無事、安定した日常生活に全く予知しなかった震災。一瞬にしての破壊、様変りの事態。今もって忘れることは出来ない。いや忘れてはならない。
○高度成長の中で我々胡座を組み、物質文明に毒されている人類への大自然の憤り、豊かさに甘え、物を大切にせず感謝の心を忘れている我々に対する警告でもあろうと感じる。
○町へ出ることも出来ず孤立した状況下で近くの小川への水汲み。今まで付き合いが全く無い者がお互いに声を掛け合い、老人への労い等助け合いの現象がごく自然に生じた。
○お隣りの井戸が使えることとなり、近在の人達が集まり、まさに向う三軒両隣り「井戸端会議」に花が咲き、お互い逆境の中だからこそかも知れないが、ほのぼのとした温かさは嬉しかったし、今日もこの交際が続いていることは尊いし有難い。
○今日は帰国され、日本には居られないが、ご近所には2件の外国人家族が住んで居られ、何れも新築洋館で被害も少なかったとの事由で食料をはじめ衣類から毛布、布団に至るまで沢山「お困りの方に…」と云う事で、供出して頂いた。再発の危険性が充分考えられた直後だけに、心の大きさ社会性の豊かさに感動した。
○他方、商店街に出る事が出来る様になり驚いた。飲食物はじめ衣類の高値には呆れるばかりで、人の弱味につけ込み利益を得ようとする利己中心主義、島国根性と云われる所以でしょうか、恥ずかしい限りでした。
○我家でも多少のトラブルが有りました。前述のトイレ騒動、有無を云わせず庭の片隅でやらせました。また家族が揃って家財の後片付けをしている時に私は庭でスコップ片手に屋根瓦等で散乱している土砂を掘り起していました。家族の怒りは大変でした。日常全く反抗しない息子までが「皆が一生懸命後片付けしている時に何をしているんですか。庭いじりとは何事ですか!」と…。私も内心は負い目もあった訳ですが、つい居直ってしまいました。「お前達、生きているってことはどういうことや!後片付けはいつでも出来る。俺は今生きているスミレの根っ子を助けているんだ。今助けずに誰がいつ助けるんだ!」と…。このやりとりは未だに家族で語り草となっています。
【感謝の心と人間関係】
私共の近在でも沢山の方々が亡くなりました。冒頭に申し上げました公表6,434人。ハイチの被災とは較べものにはなりませんが、現実には阪神大震災の影響で逝去された方は遥かに多いと考えています。
私の実母も一週間後に病院でショック死しました。被災届けはしていません。また、私の住んでいる殿山町12には5件の世帯で構成されていますが、被災1年以内になんと3世帯主が亡くなって居られます。各々種々の心労が重なっての事と伺っています。
私自身確かに混迷、葛藤もしましたが、お陰様で会社をはじめ親戚、友人達と多数の支援、励ましを頂き、また仕事が多忙を極めていた事と種々の趣味を持ち、適時ストレスの発散に有効であったと考えられます。気持ちのあり方としても常に前向きに考えれた事も幸いでした。大自然を恨んでみてもはじまらず、過去は過去、被災はあえて我々に対する叱責であると良い意味での割り切りが出来、反って明るくなったと人から不思議がられもしました。まさに今これから、これから今から、ラッキーにも生かされた一人として私達は一日一日を大切に感謝の気持で生きていく必要があると考えます。
今も深く脳裏に刻み込まれている人々の温かさ、お互いがお互いの為に行動する事の尊さ、目配り、気配り、思いやりの心、理屈では無い心の問題だと考えます。平常の人間関係を貴重として、防災への想い、知識、知恵を学び高める事の必要性を感じています。
私達ロータリークラブとしては政治、宗教は御法度で有りますが、あえて多少触れさせて頂きますが、今日「命を守る政治」を掲げる鳩山内閣発足から5ヶ月がたった今も防災に対する具体的な取り組みが見えて来ない。予算面に於いても予算案から削除の方向性は関心の低さすら感じます。阪神大震災時、政権中枢に的確な情報が伝わらず、それだけ被害が拡大したと云われて居り、この教訓として危機管理が脚光をあび今日に至っているはずであり、問題として防災関連部省は未だに「縦割行政」があげられ、行政のトップに民間から経験豊富な専門家を任用し、現場のニーズを基に、防災関連機関が一体となったシステムと活動を期待したいものです。
私、被災後にこのロータリークラブに加入させて頂き本当に良かったと思っていますし、今日の明るい私があると感じています。
思い掛けない出合い、触れ合い、異業種の方々との交流と学びの世界、若い人達からの吸収、目標を持って心を合わせた活動、まさにお陰様です。
震災15周年を経過した今日、被災者の立場で生の体験と想いを述べさせて頂き、ご静聴頂けたこと、誠に有難く心から感謝致します。